◆ パウロの生涯(52)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇三年三月一六日号 ▽家族全体の救いを祈ろう ー救いの感謝と広がりー 神様の選びと救いの広がりは、私たちの思いをはるかに越えていて、まさに、神の主権とあわれみによると考えざるをえない。 "されど之(キリスト)を受けし者、即ちその名を信ぜし者には、 神の子となる権を与え給えり" ヨハネ伝一章一二節 "兄弟よ、召(めし)を蒙(こうむ)れる汝らを見よ、肉によれる智(かしこ)き者 多からず、能力(ちから)ある者多からず、貴(とうと)き者多からず。 されど神は智(かしこ)き者を辱(はずか)しめんとて世の愚(おろか)なる者を 選び、強き者を辱しめんとて弱き者を選び、有る者を 亡(ほろぼ)さんとて世の卑(いや)しき者、軽んぜらるる者、即ち無(な)きが 如(ごと)き者を選び給えり"
品行方正、成績優秀、才能にみちた人が神様によってえらばれ、救われると私たちは考えやすい。聖書ははっきり「ノウ」という。勿論、クリスチャンが無能というわけではない。 与えられた天賦の才能は神様に救われたあとに開花することは歴史の証明するところである。私たちが救われる順序は、
歴史にのこる有名な伝道者や聖書の学者、あるいは政治家(チャーチル、リンカーン、他)、科学者など数えきれない人たちが神様に膝(ひざ)をかがめた。そして人類の歴史に偉大な足跡(そくせき)をのこしているのである。 すでに救われている皆さんは、「どうして私のようながんこで、悪いことばかりしていた人間が先に救われたのかわからない。」と言うのではなかろうか。 ア、神様の憐憫(あわれみ)があらわされるため。
イ、道徳的な人、まじめな人、模範的な社会人と思われる人は心の中で他人と比較して自分を誇ることがあるのでは? 神様に近いようで一番遠い人。 ウ、「罪の増すところに恵みもいや増す」
エ、神様の恵みが家族全体にゆきわたる為。(家族への証(あかし) が困難なのはどこでも同じ。生活の変化こそ証の基本。) 牢番は神様に救われたよろこびを直(ただ)ちに行動であらわした。二人の打ち傷の手当をし、直ちにバプテスマをうけたのである。バプテスマは洗礼(せんれい)と訳された時代があったが、正しくない。 全身を水に浸(ひた)すことで、古い性質が死んで葬られ、キリストと共によみがえることの象徴であるから。決して罪を洗い流してもらう儀式ではない。信仰告白をした人は早くバプテスマを受けるようおすすめしたい。救いの喜びと聖霊の導きを実感出来るから。
|