◆ ロマ書の学び(1)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇三年三月二三日号
        ▽信仰の土台
 
 
ロマ書一・一〜一七《キリスト・イエスの僕(しもべ)》 

 「キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の福音のために選び別たれたるパウロ」
(一章一節) 

 この短い一節の中には、大変重要な聖書の救いの教理とクリスチャン一人一人の信仰の歩みについて書かれている。私たちは聖書全体を完全に読みきり、また、全てを理解することは不可能であろう。

 しかし、だからといって聖書が全然理解できないわけではない。神様は現代の人々に対しても、このローマ人への手紙を通して語って下さり、日々必要な力、生きる糧(かて)をお与え下さっている。 

 クリスチャンの信仰の土台、又、私たちが日々の生活においてどのように神様と共に歩いて行くことが出来るのか、人生の目当てと、日々の歩みに必要な神様の導きを求めてゆきたいと思う。 

 パウロは、元の名前はサウロといい、ユダヤ人の社会ではサウロと呼ばれていた。パウロという名前は異邦人の中にあって多く使われた名称であった。

 パウロは一章一節で、「キリスト・イエスの僕(しもべ)」と書いている。聖書の中には、「イエス・キリスト」と書かれている所と、「キリスト・イエス」というように順序が逆になっている所がある。使徒パウロは「キリスト・イエス」という時には明らかに神様によって預言をされ、また救い主として油注ぎを受けたお方として書いた。 

 「イエス・キリスト」という時には一般的なイエス様のお名前、人間としてのイエス様のお名前にさらに救い主という形で、述べられているようだ。

 『ローマ人への手紙』が書かれた、紀元五〇年前後、ローマは世界を制圧していた。その中にあって、パウロは初め厳格な宗教儀式を守るパリサイ派の人物であった。サウロという名前の時には、イエス様を信じる人々をつかまえては牢屋に入れてしまう、クリスチャンを迫害する急先鋒(きゅうせんぽう)の一人であった。復活のイエス様によって、彼は自分の歩(あゆ)んできた信仰の歩みがどんなに間違っていたのか、見当はずれであったのかを知った。

 そして、復活のイエス様の個人的なお取り扱いの中で、それまでの自分の間違った歩み方を完全に変えられて、新しく神様に仕える者として生涯を捧げた。

 パウロは「キリスト・イエスは、罪人を救う為にこの世にきて下さった。私はその罪人の頭(かしら)であり、最も恐ろしい罪人だ。」と書いている。決して自虐的(じぎゃくてき)な表現ではなく、自らの歩んできた道を振り返って、イエス様を信じる人々を迫害し、恐ろしい過去を持つ者として、「罪人の頭」であるという風に表現したのである。(続) 
 

◎暗誦聖句 マタイ伝七章八節後半
 


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