◆ ロマ書の学び(3)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇三年四月六日号
        ▽信仰の土台
 
 
ロマ書一章一〜一七節《キリスト・イエスの僕(しもべ)》

 私たちは、自分達が「イエス様と私との関係」ということにおいて考える必要がある。 

 果たして私はイエス様の救いを頂いてから神様の奴隷のように、自らを全て明け渡した状態にあるだろうか。それとも、私は自分の生活を楽にするために、あるいは自分の経済的な必要を満たしてもらうために神様を利用しようとしていないだろうか。自分が苦しい時だけ、「イエス様、助けてください。」と呼んで、普段の生活では神様のことはそっちのけ、という風になっていないだろうか。 

 給料をもらうとまず、「今度新しい背広を買わないといけない。それから、家賃にいくら、それから自動車の支払いにいくら。教会の献金?、ああ、そりゃ余裕ができたらしましょう。」となっていないだろうか。これは明らかに「キリストを自分の奴隷とする」立場である。 

 私たちはまず、自分の初なりを神様に捧げる。これが、クリスチャンの神への捧げものである。自分のお金、時間、そしてまた、自分の与えられた健康も、才能も全て神様に捧げていく、それが使徒パウロの信仰者としての土台となっている。

"キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の福音のために選び別たれたるパウロ"
      ロマ書一章一節 

 選びわかたれた者、神様によって召し出され、そしてまた、選びわかたれた、ただ単に、選び出されただけでなくして、分けられた、ということに大変重要な意味がある。

 聖書学者は、パリサイ人というのはもともと「分離した者」という意味だといっている。 

 パウロは確かに神様に召されて使徒となり、異邦人伝道を継続していった。そうした中にあってパウロは自分の職業であるテント作りというものを辞めることがなかった。ある程度、自分の生活を面倒みてくれる人達がそばにいるようになるまで、パウロは一生懸命、時間があるとテントを作って自分の生活の糧を得ていた。

 と同時に、全てを神様にお捧げし、或いは生活上の問題のあるクリスチャン達を助けるために、彼は自分の手で働いて、そういう人達を助けるためにお金を使ったのである。「ええっ、パウロが? そんな偉い伝道者がテントなんて作ってたのですか。アルバイトしてたのですか?」と驚くかもしれない。

 私たちは、パウロがテント作りをしていたというと、すぐ、現在のアルバイトという感じで考えるが、実はこの当時、天幕を作るということは、レベルのかなり高い地位の職業であった。パウロの時代、テントを作るということは、特に学者達が行ったのだ。 
                     (続く) 
 
 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝七章一一節d・e 
"まして天にいます汝らの父は、…賜わざらんや。"
 
 


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