◆ ロマ書の学び(4)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇三年四月一三日号
        ▽信仰の土台
 
 
ロマ書一章一〜一七節《キリスト・イエスの僕(しもべ)》

 学者、言わば当時の最高の学問を修めている人達が、自分達の生活の糧として天幕を作っていた。何故か?

 天幕を作るためには、面積や傾斜等を計算し、強度も測らなければいけない。また、当時の天幕は大変高価な生地や、獣の皮を使ったので、学者が主に職業として持っていたといわれている。そういう意味で天幕作りはどちらかと言うとインテリの従事する仕事であったと考えてほしい。

 パウロは神様のご用のために選び分かたれ神様にお仕えしていたが、時間のある時には天幕を作り、自分自身の生活の糧を得ていた。自分で一生懸命働き、次から次へ、町から町へと伝道して歩いた。そのパウロにして初めて「働かざる者、食すべからず。」という言葉が出てくるわけである。

 自分で働こうとしない者は食べてはいけない。神様によって健康な体を与えられた私たちは、毎日一生懸命働いて、自分と自分の家族を養うための生活の糧を得なければいけないと言ったのである。

 もし、自分はのらりくらりとしていて、お父さんが一生懸命汗水たらして遅くまで働いていても、親は子どもを養うのは当然だと言う人がいるならば、とんでもないことだ。パウロは「働かざる者、食すべからず。」と言っている。

 もし自分で働いたお金を全部自分のお化粧代や服代に使い、親が食事を世話するのは当たり前だという人がいれば、心得違いである。少なくとも、アルバイトで稼いだお金の十分の一はまず、神様に捧げる。それがたとえわずかであったとしても…。

 そして、「お父さん、あるいはお母さんに少ないけれど、私の食事代、働いた分です。」と取ってもらってほしい。「もっと出せ、もっと出せ。」と、親は言わないものである。

 お父さん、お母さんは若い皆さんが一生懸命働いて、手に入れたお金を差し出す時、「ああ、うちの子もこんなに大人になったんだ。」と陰で泣いて喜ぶことだろう。親はあなたの収入を当てにはしていないが、あなたが自分が働いて得たお金を、親に感謝の思いとして出す姿に安心をし、「ああ、この子も段々、大人になってくるな。いつまでも甘えてないな。」ということが分かってくるのである。

 パウロは神様によって召された。そして、神様が養ってくださることを確信していた。しかし、彼は日々の歩みの中にあって時間があると天幕を作っていた。そして、その天幕を作った収入で自分の生活を養い、更に若い伝道者を助けたり、貧しいクリスチャンにそのお金を分け与えたりしていた。(続く) 
 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝七章一二節 
 


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