◆ ロマ書の学び(5)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇三年五月四日号 ▽信仰の土台 ロマ書一・一〜一七
《キリスト・イエスの僕(しもべ)》 「キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の 福音のために選び別たれたるパウロ」 (一章一節) パウロは、パリサイ派の信徒として、言ってみれば分離された者、一つの社会から分けられた者という形で、パリサイ派の信仰を守っていた。しかし、彼はイエス様に僕(しもべ)として、奴隷として仕えていく時に、そうしたパリサイ派の人達が考えるような世界から完全に隔離した。 言ってみれば隠遁(いんとん)生活のような感じでいたのである。罪の世界から分離をさせられて、そして彼が「選び分かたれた」と言う時には、何かの目的のために、新しい働きのために神様によって召され、そのために献身をするということであった。 そう言う意味では、パリサイ派の人達は世からの分離だけを考えていた。汚れたものからの分離だけだったのに対し、パウロは、神様に全てを捧げるためにこの世から分離をしたのである。 皆さんの中には、神様に生涯捧げていきたいという献身を表明した方もいらっしゃるだろう。また、これから献身をしようという人もいるかもしれない。そういう時に、私たちははっきりとした目当てを持つ。そしてまた、自分自身を生きた聖い供え物として神様に明け渡す、ということが、この「選び分かたれる」ということにつながってくる。
「良い知らせ」という言葉から言えば、明らかに日本人が使う「福音」でも悪くないが、聖書で言うところの「福音(ガスペル)」というものは、全く違った意味合いがある。
◎暗誦聖句 コリント前書一五章三節…キリスト聖書に応じて我らの罪のために死に、(葬 られ、聖書に応じて三日目によみがえり)
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