◆ ロマ書の学び(8)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇三年五月二五日号
        ▽ 主に心をささげる
 
  日本では、信仰は年をとってから求めていくといった考え方があるが、小さな子供の時代であっても神様のことをしっかりと心に信じ、受け入れなければならないと思う。

 かつて、日本は世界で一番安全な国の一つと言われていたが、最近では、決して安全な国ではなくなってしまった。そういう意味で、私たちは日曜学校による幼い子供たちに対する伝道活動をこれまで以上に力を入れていかなければならないと、つくづく思う。 
 有名なアメリカの伝道者、ドワイト・ムーディは児童伝道を大変熱心に行ったが、集会であまり強い招きをしなかったようだ。しかし、シカゴの大火災を経験し、「ああ、あの時私はなぜイエス様を迎え入れるように招きをしなかったのか。」と心に大きな悔いを残したといわれている。それ以後、ムーディ伝道者の説教は必ず、心に残るような招きの言葉で集会を閉じられたといわれている。 
 ローマについての大変有名なことわざがいくつか語り継がれてきた。今から二千年程前、イエス様がおいでになった時代、イスラエルはローマの強力な支配下におかれていた。

 かつて五〇年余り前、私たち日本人もアメリカの支配下におかれ自由を失った時代があった。他国の支配下にあるという意味を考えてみよう。ソ連ではなく、アメリカに占領されたということは、現在の日本にとって感謝しきれない敗戦の状態であったと思う。戦争の経験がなかったら、日本は甘ったるい、ぬるま湯につかったような状態から抜け出ることはできなかったと思う。

 なぜ六〇代以上の人が「もったいない」と言ったり、何かというと戦争当時の事をよく口にするのだろう。その理由をよく理解しないと、大変な損失をこうむると思う。多くの人々は、古い世代の人々のように世界中が戦争に巻き込まれることを、経験しないかもしれない。

 私と同年配の皆さんは、そういう意味で大変辛い経験をしたが、ある意味では、まれで貴重な体験をしたと、感謝をもつべきであろう。もし日本が戦争に勝ったとしたならば、私達は果たして現在のように聖書の教えを耳にし、またクリスチャンとして神様をほめたたえるようなチャンスがあっただろうか。私達は、辛い経験に対しては感謝をしにくいものだ。

 しかし、時が経つにつれて、自分の経験が後の人生や、人生観を変えていくことを思う時に、すべての経験を信仰によって受け止め、信仰をもって見るならば、神様の大きな摂理と哀れみを思い、感謝することだろう。
        (続く) 
 
 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝七章二六節
 


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