◆ ロマ書の学び(10)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇三年六月八日号 ▽ 主に心をささげる “When in Rome
, do as the Romans do.”「ローマにいる時にはローマの人達がやるようにやりなさい。」 日本語では、「郷(ごう)に入(い)っては郷(ごう)に従え」ということだ。
信仰の面で、私達がクリスチャンとしての生き方をこの国で全うしようとすると、多くの戦いがある。 「日本は日本古来の宗教があるし、日本人の義理、人情があるじゃないか。だからクリスチャンでも先祖崇拝をし、仏壇に手を合わせ、いろいろなお祭りに参加しなければいけない。郷にいれば、郷に従えだろう。」と…。 「郷に入っては郷に従え」とは、ある面では人間生活の中で大変大事な事を教えていると思うが、私達は情(じょう)に流されたり、智(ち)(知性)に傾いてもいけない。情に竿(さお)をさせば流されてしまう。 信仰生活において大事な事は、確かな神様のお言葉に立脚し、豊かな情感を育(はぐく)まれるということである。クリスチャンはしかもなお、理性的にといって頭ばかり使うのではなくて、心を学び合うことだ。 信仰と希望と愛、この三つはクリスチャンにとって大変重要な要素であるが、愛は必ずしも理性ではない。愛の情感というものは、イエス様の表された神の愛に通じるものである。私達それぞれの歩みの中で愛情を持ちながら、しかもなお神様のお言葉、神様のお示しになったルール、原則(プリンスプル)に従って信仰生活を歩いていかなければならない。 幾つもの格言や諺(ことわざ)の中に、私達の日々の歩みのヒントがある。格言、諺(ことわざ)を昔の人達の知恵のかたまりとして受け止めつつも、クリスチャンとしては日本人が培ってきた習性、惰性から脱却しなければいけない。
キリスト教を手っ取り早く知りたいと思うならば「ローマ人(びと)への手紙」をお薦(すす)めする。私達が、誰かをイエス様に導こうとする時に、このローマ人への手紙を使って導けると一般的に言われている。特に、アメリカの有名な伝道者の何人かは“Roman's road”つまり『ローマの道』という表現で個人伝道のヒントを与える本を書いている。 “Roman's road ”には、ロマ書だけで「全(すべ)ての人間は罪人であり神の裁きが近づいているから早く悔い改めなければならない」という、人間の罪の状態から神様の許しを求めて救いを頂くところまでが出てくる。 ロマ書だけを使って誰かをキリストに導くことができるわけであるが、そうは言うものの人間は千差万別で個性がある。私達が聖書のあちこちに赤線を引いたり、しおりを入れて「今度これをやろう。」と一生懸命備えても、個人伝道の相手はもう上(うわ)の空で聞いてくれない、ということもある。 まずイエス様のことを伝えようとする相手がどういう心の痛み、悲しみを持っているかを聞いて、その魂の必要に対して答えていく姿勢が大事である。 (続く) ◎ 暗誦聖句 マタイ伝七章一二節さらば凡(すべ)て人にせられんと思うことは、人にもまたその如(ごと)くせよ。これは律法(おきて)なり、預言者(よげんしゃ)なり。 |