◆ ロマ書の学び(12)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇三年六月二二日号
        ▽ 主に心をささげる
 
  私達は福音を伝えるというときに、どうしても貧しい人にだけ伝えると言う責任を感じてしまう。けれどもイエス様の福音はお金持ちのためにもあるということを覚えていただきたい。福音は、ギリシャ人にも、ギリシャ人以外にも、未開の人達にも、言ってみれば全世界の人達に有益なのだから。 
 我はギリシャ人にも夷人(えびす)にも、智(かしこ)き者にも愚かな る者にも負債(おいめ)あり。この故に我はロマに在(あ)る汝らにも 福音を宣べ伝えんことをしきりに願うなり。

 我は福音を恥とせず、この福音はユダヤ人を始めギリシャ人にも、凡て信ずる者に救いを得さする神の力たればなり。

 神の義はその福音のうちに顕(あらわ)れ、信仰より出でて信仰 に進ましむ。録(しる)して『義人は信仰によりて生くべし』 とある如(ごと)し。      ロマ書一章一四〜一七節 
 アメリカに勉強に行った二年目の夏休みの一九六二年、私はデトロイトのテンプル・バプテスト教会で夏の間、研修をした。テンプル・バプテスト教会は、ビーチャム・ヴィック博士が牧会していらした教会である。

 そこで証しをする機会があり、その教会出身の若夫婦に招かれて、別の教会でも証しをすることになった。その時に、一人の方から、隣の日本人に証しをしてほしいとたのまれた。日曜日の午後、片道二時間以上かけてその家に出かけた。

 奥さんはカトリックの信者で、ご主人は無神論者だった。このご夫婦はハワイ生まれで、日本語は全然通じなかった。この男性は、私が証しを終えて「イエス様を心にお迎えしませんか。」と言うと、突然怒って、台所に行って包丁を取り出し、「早く帰ってくれ。早く出て行かないと、お前を殺すぞ。」と言いだした。

 「私はアメリカのマサチューセッツ工科大学を優秀な成績で卒業した者だ。イエス・キリストの福音というものが、十字架を信じるだけで、そんな単純なことで、人間が救われるはずがない。
 愚かな人間ならともかくM.I.T.で勉強したこの私が、そんな証しを信じるものか。早く帰れ。」と言って私を追い出そうとした。

 そこで私は「申し訳ないですが一分だけ時間を下さい。」といって祈り始めた。 
 私が祈りはじめてほどなく、「祈るのをやめてください。」とご主人の声。なんのことかわからず、目をあけてご主人を見ると、私の隣にきて膝をついて、「牧師さん、私のために祈ってください。私も救われたいんです!」と泣き出された。神様のみ言葉には力があります。  ( 続 く )

 
 
◎ 暗誦聖句  マタイ伝七章二九節

 

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