◆ ロマ書の学び(17)
               
        習志野バプテスト教会週報 
         二〇〇三年八月三日
        ▽信仰によって生きる
 

  それ神の怒(いかり)は不義をもて眞理(まこと)を阻(はば)む人の、もろもろ の不虔(ふけん)と不義とに対(むか)いて天より顕(あらわ)る。
                 ロマ書一章一八節


 一八節以下には、イエス様を信じるきっかけとなった罪の問題が描かれている。人はなぜ人を殺してはいけないのか、人はなぜ救われなければならないのか。イエス様を裁いたピラトは、「『真理とは何ぞ』、人間の生命とは何か。人間はなぜ裁きを受けなければならないのか。」と問いかけている。


 その故(ゆえ)は神につきて知り得(う)べきことは彼らに顕著(あらわ)なれ ばなり、神これを顕(あらわ)し給えり。<鴻}書一章一九節


 子どもの頃、神棚、仏壇、荒神と、いくつもの偶像が家の中に一緒にまつってあった。考えてみれば、おかしなものである。神道の教えにしたがい、神棚に手を合わせる一方、仏壇に亡くなった人をまつる。仏教は神の存在を否定しているが、神道は神々の存在を肯定している。一件の家で矛盾が生じているのに気づかない。日本の家庭は暗闇(くらやみ)の中にある。


 みなさんも、災い、病気などの時、しらずしらずのうちに何かに守られているのだな、何か目的があって、生かされているのだと感じたことがあるのではないだろうか。自分の目に見えない力を持つ方がいるにちがいない、と。

     そうしたことが、神様を求めるきっかけとなった。青年時代はいろいろ考えるし、誘惑もある。たえず信仰について考えていたわけではないが、生命とは何だろう、自分はなぜ生かされているのか、と考える時がある。「もし超自然的な力を持つ神がいるなら、神の力を利用したい。ご利益を求めて神を利用したい。」という思いがある。

     有名な学者が言っている。「世界の人にとって、世界をお治めになる全能の方がいらっしゃることを何かの形で認めることが必要である。認めなければ、世界は戦争の火で焼かれてしまう。」と。あるいは、多くの科学者は、日本の科学者も含めて、「この世の中を救うためには、何らかの形で神を認めなければならない。人々は、殺りく(・・・)に殺りく(・・・)を繰り返し、人殺しを続けて、やがて地球は滅んでしまう。」と言っている。

     クリスチャンでない人は次のように言う。「もし神がいなければ、自分たちで神を作らなければならない。」と。今から二〇年前の話である。これが科学者の出した答えであり、人々が世界平和を求めて考えた結論である。しかし、人間が浅はかな知恵で、神々を作る必要はないのである。すでに神は、一人一人に生命を与えて下さった。(続く)


◎暗誦聖句 マタイ伝七章一三節

 


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