◆ ロマ書の学び(22)
               
        習志野バプテスト教会週報 
         二〇〇三年九月二一日号
         ▽信仰によって生きる

 使徒パウロはロマ書二章において、神様の律法を持つ者も持たない者も各々の尺度によって神様に裁かれると書いている。すべての人は皆、等しく神様から遠く離れた状態であり、神様を敬っていないことに対する神様の怒りと裁きがくだると書かれている。


 神様のお造りになった素晴しい世界、広大な宇宙の中にあって、あらゆるものを造られた神様が存在するであろうと考えるのは当然のことである。

 日本では進化論を唱えたダーウィンという生物学者はよく知られている。しかし、日本の学校においては彼が最後にイエス・キリストを求めたということは教えられていない。

 進化論は教えても、彼が死の床で「神様、私はとんでもない大きな過ちをしました。」と進化論を書いたことの誤りを認め、「どうか私を許して下さい。」という最後の叫びの声を上げたことは教えられていないのである。NHKのテレビ番組はすべて進化論の影響にどっぷりとつかっているものばかりである。


 人間は神様を畏(おそ)れ敬うことをせず、考え方は空しいことばかりで、その結果、心は闇の中にある。現在日本で青少年犯罪が問題にされているが、その根底にあるものは神様を畏(おそ)れ敬う思いがないこと≠ノある。


 小さい時、兄弟げんかをすると、親は兄や姉が悪いとしかる。子供なりにどちらが正しいか聞かないことに反発する。やがて大きくなるにしたがって、自分の思いが正当化されることを求めていく。本来正しいものを求めようとする思いは、神様の下さった良心の働きからくるものである。

 しかし、人間は罪の世界に住んでいるため、どうしても自己主張が強くなり、プライド・誇り・高ぶりが強くなる。真の神様を礼拝するよりも、目に見える形、動物や人間の姿を形どって手を合わせて拝むようになる。こういうことは人間の歴史においてどんな未開地であっても行われてきた。


 人間は力や、いつまでも死なない永遠のものを持ちたい、と願う。中国においては昔から不老不死の薬、年をとらず、死なないために漢方薬を研究し、発達させてきた。日本では、大名が金(きん)や銀を求め、それをお茶にまぜて飲み、かえって水銀中毒となり早死にした。長く生きたいと思った者が金属をどんどん体に入れたため早死にをしたのだ。

 また、未開の人種、かつて台湾や東南アジアにも多くいた人食い人種も「霊・魂の力」を自分がもち、長生きしたいと思った。日本人もよく「ついていた」と言う言葉を使う。獣の霊がのり移って人一倍の力を与える、というのがついているという意味であり、どれほど私達が自分以外のものの力を持ちたいと願っているかがわかる。


              (続く)


◎暗誦聖句  マタイ伝七章二一節 前半

 


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