◆ ロマ書の学び(22)
使徒パウロはロマ書二章において、神様の律法を持つ者も持たない者も各々の尺度によって神様に裁かれると書いている。すべての人は皆、等しく神様から遠く離れた状態であり、神様を敬っていないことに対する神様の怒りと裁きがくだると書かれている。 日本では進化論を唱えたダーウィンという生物学者はよく知られている。しかし、日本の学校においては彼が最後にイエス・キリストを求めたということは教えられていない。 進化論は教えても、彼が死の床で「神様、私はとんでもない大きな過ちをしました。」と進化論を書いたことの誤りを認め、「どうか私を許して下さい。」という最後の叫びの声を上げたことは教えられていないのである。NHKのテレビ番組はすべて進化論の影響にどっぷりとつかっているものばかりである。
しかし、人間は罪の世界に住んでいるため、どうしても自己主張が強くなり、プライド・誇り・高ぶりが強くなる。真の神様を礼拝するよりも、目に見える形、動物や人間の姿を形どって手を合わせて拝むようになる。こういうことは人間の歴史においてどんな未開地であっても行われてきた。 また、未開の人種、かつて台湾や東南アジアにも多くいた人食い人種も「霊・魂の力」を自分がもち、長生きしたいと思った。日本人もよく「ついていた」と言う言葉を使う。獣の霊がのり移って人一倍の力を与える、というのがついているという意味であり、どれほど私達が自分以外のものの力を持ちたいと願っているかがわかる。
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