◆ ロマ書の学び(24)
三章九節以下、人間は罪の性質を持つことが記され、一〇節には義人なし、一人だになし、聡き者なく神を求むる者なし≠ニある。私達は罪の性質をもっており、人間の舌は邪(よこしま)な思いで満ちていると教えている。
彼らののどは開きたる墓なり
ロマ書三章一三節
人間は罪の性質のままではその喉(のど)は開いた墓の様である。神様が私達の口をごらんになると、死んだ墓の様であると言われる。墓の中には腐ったもの、腐敗したものがある。私たちは罪の性質のまま口を開くと汚いもの、人を汚すもの、皆が嫌がるものが出てくる。人間の言葉は汚れたものである。あなたの口は開いた墓であるといわれている。 以前はトイレが外にあったため、汚物を食べに来るねずみを取るためにトイレに多くいたらしい。まむし、それほど怖いものがあなたの舌にあるというのである。どんなに人間が私は悪いことを一切口にしないと言っても、人間の罪の心から出てくる言葉は人を傷つけるものである。蝮の毒は怖いものである。
一五〜一八節は、人間の足は血を流すことに早く、平和を口にしても人殺しを平気でしてしまうといっている。
二一節には聖書の中で最も重要な言葉の一つ「然(しか)るに」という言葉が出てくる。これまでにいってきたことを完全にひっくりかえす言葉である。神様は私たちそれぞれに対して厳しい裁きをされる。「しかし」「でも」、神様は私たちに救われる道をお与えくださったというのである。神様は、イエス・キリストを信じる凡ての人を義として下さり、厳しい裁きからお救い下さる。神様がお与え下さる救いには差別はないのだ。 (続く) |