◆ ロマ書の学び(24)
               
        習志野バプテスト教会週報 
         二〇〇三年一〇月五日号
         ▽信仰によって生きる

 

録(しる)して『義人(ぎじん)なし、一人だになし、聡(さと)き者なく、神を求むる者なし。

みな迷いて相(あい)共(とも)に空(むな)しくなれり、善をなす者なし、一人だになし。

彼らの咽(のど)は開きたる墓なり、舌には詭計(たばかり)あり、口唇(くちびる)のうちには蝮(まむし)の毒あり、その口は詛(のろい)と苦(にがき)とにて満(み)つ。

その足は血を流すに速し、破壊(やぶれ)と艱難(なやみ)とその道にあり、彼らは平和の道を知らず。

その眼前(めのまえ)に神をおそるる畏(おそれ)なし』とあるが如(ごと)し。」 

    ロマ書三章一〇〜一八節


 三章九節以下、人間は罪の性質を持つことが記され、一〇節には義人なし、一人だになし、聡き者なく神を求むる者なし≠ニある。私達は罪の性質をもっており、人間の舌は邪(よこしま)な思いで満ちていると教えている。

        彼らののどは開きたる墓なり

                   ロマ書三章一三節

 人間は罪の性質のままではその喉(のど)は開いた墓の様である。神様が私達の口をごらんになると、死んだ墓の様であると言われる。墓の中には腐ったもの、腐敗したものがある。私たちは罪の性質のまま口を開くと汚いもの、人を汚すもの、皆が嫌がるものが出てくる。人間の言葉は汚れたものである。あなたの口は開いた墓であるといわれている。


  また、舌には謀(たばか)りがあり、悪い計画がある。口唇の内には蝮(まむし)の毒がある。沖縄には蝮が多く、久米島(くめじま)にも多くの蝮がいる。

 以前はトイレが外にあったため、汚物を食べに来るねずみを取るためにトイレに多くいたらしい。まむし、それほど怖いものがあなたの舌にあるというのである。どんなに人間が私は悪いことを一切口にしないと言っても、人間の罪の心から出てくる言葉は人を傷つけるものである。蝮の毒は怖いものである。

 一五〜一八節は、人間の足は血を流すことに早く、平和を口にしても人殺しを平気でしてしまうといっている。

然(しか)るに今や律法(おきて)の外(ほか)に神の義は顕(あらわ)れたり、これ律法と預言者とによりて証せられ、イエス・キリストを信ずるによりて凡(すべ)て信ずる者に与え給う神の義なり。之(これ)には何等(なにら)の差別あるなし。

    三章二一〜二二節

 二一節には聖書の中で最も重要な言葉の一つ「然(しか)るに」という言葉が出てくる。これまでにいってきたことを完全にひっくりかえす言葉である。神様は私たちそれぞれに対して厳しい裁きをされる。「しかし」「でも」、神様は私たちに救われる道をお与えくださったというのである。神様は、イエス・キリストを信じる凡ての人を義として下さり、厳しい裁きからお救い下さる。神様がお与え下さる救いには差別はないのだ。

  (続く)


◎暗誦聖句 マタイ伝 七章二〇節


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