|   ◆ ロマ書の学び(26) 
         
                         
                習志野バプテスト教会週報   
                 二〇〇三年一〇月一九日号  
                 ▽信仰によって生きる 
       
          
          即(すなわ)ち神は忍耐をもて過(すぎ)来(こ)しかたの罪を見(み)遁(のが)し給いしが、己(おのれ)の義を顕(あらわ)さんとて、キリストを立て、その血によりて信仰によれる宥(なだめ)の供物(そなえもの)となし給えり。 
           
           これ今おのれの義を顕(あらわ)して、自(みづか)ら義たらんため、またイエスを信ずる者を義とし給わん為(ため)なり。 
           
           然らば誇るところ何処(いづこ)にあるか、既(すで)に除かれたり、何の律法(おきて)に由(よ)りてか。 
           
           行為(おこない)の律法か、然(しか)らず、信仰の律法に由(よ)りてなり。 
           
           我らは思う、人の義とせらるるは、律法の行為(おこない)によらず、信仰に由(よ)るなり。 
           
           神はただユダヤ人(びと)のみの神なるか、また異邦人(いほうじん)の神ならずや、然(しか)り、また異邦人(いほうじん)の神なり。 
           
           神は唯一にして割礼(かつれい)ある者を信仰によりて義とし、割礼なき者をも信仰によりて義とし給えばなり。 
           
           然(さ)らば我ら信仰をもて律法を空(むな)しくするか、決して然(しか)らず、反(かえ)って律法を堅(かと)うするなり。 
           
                  ロマ書三書二五〜三一節  
       
       
         
         神様から離れての良い行いは善よりもむしろ呪いになる。神さまを信じていない人達の善い行い、親切やボランティアは「善いこと」よりもむしろ呪いとなる。 
         
         なぜならば、もっと多くの人を真の神様からひきはなしてしまうからである。あなたが神様を信じる時に、主イエスを信ぜよ、さらば汝も汝の家族も救わるべし=@とあるように、周りの人たちに大きな証ができるようになる。 
         
         逆にあなたが一人、神様に逆らった行為、生(なま)はんかな聖書の知識で生活していることによってあなたとつきあうお友達やまわりの人たちは「なんだキリスト教はそんなものか。」と思って神様から遠くはなれてしまうのである。 
         
         人間は一人で生きるものではない。他の人たちに影響を与え、自分もまた影響されていく。使徒パウロはそのことをここで教えている。何のよい行いも無くして神様の一方的な恵み、哀れみによってイエス・キリストにある身代わりの死によって神様に受け入れられる。 
         
         
         
         『貴方(あなた)の若い時に貴方の造り主を覚えなさい。神様を敬いなさい』と聖書に書かれている。どうぞ一人一人、イエス・キリストの所に立ち帰っていただきたい。 
         
       
       
         
          愚かなる者は心のうちに神なしと言えり。彼らは腐(くさ)れたり、彼らは憎むべき不義をおこなえり、善をおこなう者なし。=@         
              詩篇五三篇一節  
         
       「この世の中に神なんかいない」という人は多くいる。聖書にも「神はいない」と書かれている。しかしその上には、愚かなる者は心の中に言えり≠ニ書かれている。イエス・キリストをあなたの心にお迎えしよう。 
         
                      (続く)  
         
        ◎ 暗誦聖句  マタイ伝七章二八節  
         
       
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