◆ ロマ書の学び(27)
「ローマ人への手紙」(=ロマ書)は、特にローマに住んでいたローマの軍人や市民を念頭に書かれた。彼らは、大変実利主義者で、今すぐ役にたつ、勉強したらすぐに役に立つという(文化的)な背景をもっていた。言ってみればインスタント食品をレンジで温めればすぐ食べられるというような考え方をしていた民族であったようだ。 使徒パウロは、ローマ人達に本当の聖書の教え、基本的な神様の救いとはどういうものかを手短にその骨格を紹介しようと「ロマ書」を書いたのである。
ロマ書の中には三つの大きなテーマがある。第一は義、正義の義である。羊という字の下に我と書く。昔、中国で、猟師が山に狩に行き、獲物を撃って捕らえようとした時、羊が飛び出してきてその動物を助けたということから、羊は(自分が犠牲となって他を救う)ということで義の文字ができたという。これは浪花節の一節だが、羊は確かにそのようなもののようである。
これをクリスチャンの立場から考えてみよう。バプテスマのヨハネはイエス様を指さして「見よ。これぞ世の罪を除く神の子羊。」と言った。神様がご用意くださった羊、子羊であるイエス・キリストといういみである。 イエス様は、ご自分の命を十字架において人類救済のために犠牲として死んで下さった。そういう意味からみるならばまさに義という文字は、クリスチャンにとってかけがえのない、素晴らしい文字ではないかと思う。イエス様の救いをこれほど端的に表す文字はない。羊、すなわち神様がご用意くださった子羊である。 もう一箇所、聖書の中には旧約聖書イザヤ書五三章に、人間はすべて羊のように迷って自分の道に進んでいってしまう、とある。神様はイエス・キリストを通してこの迷った羊のためにイエス様がご自分の命を犠牲にして、迷った羊を神のもとに連れ帰るという教えになっている。二重、三重の意味で、私たちは聖書の教え、イエス・キリストの十字架上の身代りの死を深く考えなければならないと思う。 ( 続 く ) ◎ 暗誦聖句 マタイ伝七章二六節 |