◆ ロマ書の学び(31)
「キリストは、すべて信ずる者の義とせられんために律法(おきて)の終わりとなり給えり。」 イエス様は、イエス・キリストを信じるすべての人達のために、旧約聖書の律法、神様の掟、律法の終わりとなって下さった。これは、ロマ書一〇章四節にある。 さらに、新約聖書ピリピ書三章九節をみると、「これキリストを獲(え)、かつ律法(おきて)による己(おの)が義ならで、ただキリストを信ずる信仰による義、すなわち信仰に基(もと)づきて神より賜(たまわ)る義を保ち、キリストにあるを認められ」とある。
私たちは、自分自身の生活の中では、何ひとつ正しいと思われるものはない。神様がご覧になるときに、けがれに満ちているということである。民族博物館や、韓国の民族館などに行くと、昔女性が使っていた手鏡、女性が姿を映してお化粧するための鏡がでてくる。これを見ると大変分厚い銅版で、銀色に鈍い光を放っている。 あれでよく顔が見えたなと思うような薄暗い表面しかない銅版、それで化粧をした。それで髪を整え、時には川の淵で女性は髪の毛をとかした。髪の毛を洗ったりとかしたりする姿が漢字の女という字になる。今の発達した鏡をみると非常にきれいで、お風呂場の蒸気があっても、蒸気がパーッと消えてしまうくらい立派な鏡である。なまじ、こんなにきれいな鏡を買うんじゃなかったと思うほどである。
(続く) ◎ 暗誦聖句 マタイ伝七章二一節 |