◆ ロマ書の学び(35)
バプテストの有名な聖書学者だったジョン・ブローダス師は、伝道集会を持つときには必ず『神様とはいかなるお方か』ということを一週間でも二週間でも徹底的に示しなさいと言っている。つまり、「God」とか、「天帝」としても「創造主」についてはぜんぜん人間にはわからないということである。 英語では通常の人間が作った神々は小さい文字で「gods」と書き、聖書にかかれた唯一絶対の神のことは大文字でGと書いてそれからodと書く。こういう風に区別はしているが、それが文字でわかっても本当の意味で聖書の全能の神様のことは人間には理解できないのである。 生まれながらの者は神のことを知ること能わず≠ニ聖書は書いている。私達が聖書の御言葉を素直に受け止め、神様から霊的な導きを頂かなければいけない理由である。キリストの十字架を仰ぎ見ることによって初めて私達は新しく生まれる、「新生」という経験をし、そして神様の聖霊の内住(ないじゅう)を頂く。つまり、神様のことは聖霊の助けを頂かなければ人間には絶対に理解不可能なのである。漢字の問題、言葉の問題だけではない。「霊」の問題なのである。 人間は3つの領域から成り立っている。 {Spirit霊/Soul精神/Body肉体} 日本語では「心」という表現を使って、心と霊をごちゃごちゃにして使う。心というのは人間の精神の部分で、いわゆる「SOUL」の部分である。聖書で取り扱うのはsoulという「心の部分」ではなくて、人間を生かす目に見えない「霊の部分」で、しかもこの「霊(れい)」は永遠に生き続ける。神様のさばきの中に生き続けるか、それとも永遠に神と共に生きるかという領域であるわけだ。 肉体bodyは朽ち果てていく。しかし、霊の部分はいつまでも生き続けていき、それは、私たち人間そのものの人格である。神様はユダヤ人だけの神ではなく、私たち異邦人、日本人にせよ、アメリカ人にせよ、あるいはガーナの人であるにせよ、すべての人の神でいらっしゃると書いてある。 私は若い頃、この聖句を見つけて大変喜んだ。それまで「ユダヤ人の神」と思っていたその神様は、ユダヤ人だけの神様ではなくて、誰でも神様にひざをかがめ神様を呼び求めるならば、「私の神様」でいらっしゃるのだということなのである。あなたは、それを実感なさっているだろうか。
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