◆ ロマ書の学び(36)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年一月二五日号
         ▽信仰によって生きる

 

 皆さんが天にいらっしゃるお父様≠ニいう時それは私たちを造って下さった真の神様だけが本当の意味での天にいらっしゃる神様なのである。そして、父なる神様と私達とは、親しい交わり、個人的な霊的交わりをするように造られているのだ。

 イギリスでは結婚して三二年間、一言も口を利かない夫婦がいたという。ギネスブックに出ているそうだが、結婚してまもなく何か言い争ったらしく、三二年間、同じ家で寝泊りして、同じ物を食べながら一言も口を利かない、ずいぶん辛い生活だったであろうと思う。  

 私達が、神様の家族の一員にされたというとき、神様と親しい交わりを持つ、お話をするということが大変大事なことである。また、私達はイエス様を通して真の神様を『私達のお父様』と呼ぶことができるようにされた。

『不法を免(ゆる)され、罪をおおわれたる者は幸福なるか な、主が罪を認め給わぬ人は幸福なるかな。』
           ロマ書四章七、八節


 「不法」、法律を破ったり、また神様の戒めを破ったような者達が、イエス様の十字架によって罪をおおわれ一回も罪を犯したことがないように認められる。罪をおおい隠して頂いた。イエス様によっておおわれて、神様がご覧になるときに、本当に無垢、罪汚れのない子供と同じように認められ、受け入れられるということはなんと幸いなことだろうか。

かく、われら信仰によりて義とせられたれば、我らの 主イエス・キリストに頼(よ)り、神に対して平和を得たり。 また彼により信仰によりて今、立つところの恵みに入(い) ることを得(え)、神の栄光を望みて喜ぶなり。
            ロマ書五章一、二節  

 結婚している皆さんは今、奥さんあるいはご主人と仲がいいだろうか?「いやあ、どうもね。」「まあまあ。」これではちょっと困る。それでは、夫婦喧嘩をしたことはあるだろうか?ないと言ったらウソになるだろう。牧師の家庭でも、物を投げたりチャンチャンバラバラはやらなかったけれども、結婚当初は夫婦喧嘩があった。「自分達は結婚したんだなあ。よかったなあ」と思えたのは一〇年経ってからで、それまではいつもすれ違いで、いすかのはし=iいすかの嘴(くちばし)は上下に食い違っている)の食い違いみたいに、いつも食い違ってばかりいた。お互いの気持が相通じるまでには一〇年かかった。同じ家に住んでいて、心が通じ合わないというのは大変辛いことである。  

 ( 続 く )

◎ 暗誦聖句 エレミヤ九章二三節前半

 


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