◆ ロマ書の学び(41)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年二月二九日号
         ▽信仰によって生きる


 マタイ伝一章二三節を見ると、インマヌエル。神、我らと共にいます。=@ロマ書では、「神との平和」と使徒パウロは書いた。マタイ伝では神、我らと共にいます。≠ニある。神様はいつも私達と共にいて下さる。どんなときであっても、寂しい夜道を歩く時にも、辛い人生の重荷を抱えるときでも、「神、我らと共にいます。」 さらにすばらしい聖書のお約束がロマ書にある。

然れば此等の事につきて何をか言わん、神もし我らの 味方ならば、誰か我らに敵せんや。<鴻}書八章三一節  

 世界中のだれも神様を信じるあなたを打ち負かす事はできない。真っ暗なトンネルに入っていたとしても、神様を信じて神様に従って行くならばどんなむずかしい問題も必ず解決の道が開けてくるのである。

高きも深きも、このほかのつくられたものも、我らの 主イエス・キリストにある神の愛より、我らを離れし むるを得ざることを。=@    ロマ書八章三九節  

 時々、私はお母さんに抱かれている小さい子供を「おじちゃんの所においで。」とからかう。はじめは「ウーン」とか言っていて私が無理矢理お母さんから引き離そうとすると「イヤッ!」と、お母さんにしがみついてしまうのだ。

 同じように、誰も私達を神様の愛から引き離す事はできない。子供の場合でも自分の手でしがみつく。私達クリスチャンは、神様を信じればちゃんと神様が押さえて下さる。誰も、私達を神様から引き離す事はできない。こんな素晴らしい神様の約束、平和の約束が与えられたのであるから、賛美をしないではいられないと思うのである。  

 かつて、アメリカの有名な伝道者ドワイト・ムーディという人がいた。彼はその伝道集会の時に、いつもアイラ・サンキーという独唱者を伴って行った。その頃、たくさん賛美歌を作った盲目の女性ファニー・クロスビーという人もいた。彼女は七一歳の高齢であったが、ムーディ先生の集会に行って、その時ムーディ先生から讃美の証を頼まれ、短い時間で賛美を作り、みんなの前であかしした。会堂を埋め尽くした会衆は、彼女の賛美にみんな涙したという。

 それは、神様が私達一人一人を愛して下さり、どのような悩み、苦しみの時にもいつもいて下さる、神様の安らぎを約束した歌であった。聖歌の六四〇番「いつかはさらばと」である。ムーディ先生は、しばしば伝道集会の時、あるいは他の集会の時、聖歌隊にこの歌をはじめに歌ってもらって、会衆にはおりかえしの部分、「み顔を拝して 我は告げまつらん。 恵みにわが身も あがなわれたりと。」という部分を歌ってもらったということである。

(続く)

◎暗誦聖句 マタイ伝六章一一節



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