◆ ロマ書の学び(42)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年三月七日号
         ▽信仰によって生きる


かく我ら信仰によりて義とせられたれば、我らの主
 イエス・キリストに頼(よ)り、神に対して平和を得たり。また彼により信仰によりて、今立つところの恩恵(めぐみ)に入(い)ることを得(え)、神の栄光を望みて喜ぶなり。
               ロマ書五章一〜二節

 「神との平和」ということを考えるとき、何度取り上げても尽きない豊かなみ言葉の宝、「貯水池」に思える。

 随分以前に有名な伝道者ビリー・グラハム先生が『神との平和』という本を日本語でお出しになった。当時はまだ今のような信仰ではなく、聖書の信仰にたっていた。

 「神様との平和」、日本人にとって大変不思議なひびきのある言葉ではないかと思う。何故ならば日本人にとって「神」というのは恐るべき存在、人間の世界をはるかに越えた人間を裁くもの、という感覚で私たちは受け止めているからである。

 全てのものをお造りになった創造主なる神は初めの人=アダムとエバをお造り下さった。その時にアダムもエバも神様のみ言葉に逆らい不従順の罪を犯し、神様がしてはならないという事をしてしまった。そしてまた神様を心から愛し従うべきことを守れなかった、という不従順、不信仰の罪を犯してしまった。英語の世界ではよくsins of omission という言葉を使う。人間は神の前に罪を犯してきたわけである。


一、私たちは神様に近づくことができる(Access by)
二、恵み(grace)
三、立つ
四、神を喜ぶ

 この四つの大変重要な言葉がロマ書五章二節には入っている。この一節の言葉をひもといても、数回にわたる聖書の学びが出来るくらい実は大変深い内容がある聖句ではないかと思う。「立つ」ということは、大変はっきりとした行動である。

 人間は赤ちゃんの時は、四つん這(ば)いでハイハイをし、あちこちにぶつかりながら、自分でだんだん物につかまって立ち上がろうとする。立ってからは今度は二本の足で歩いていく。

 なぞなぞで「初め四本足で歩き次に二本足で歩き、最後に三本足で歩くのは何だ?」というのがある。答えは「人間」だ。赤ちゃんは四つ足で這(は)って、若い時は二本の足で立ち、年をとってくると杖をつくので、三本の足で歩くというわけである。

      (続く)


◎ 暗誦聖句 ピリピ書一章一五節


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