◆ ロマ書の学び(43)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年三月一四日号
         ▽ 神との平和を


また彼により信仰によりて今、立つところの恩恵(めぐみ)に入(い)ることを得(え)、神の栄光を望みて喜ぶなり。
                  ロマ書五章二節


 「立つ」という時、自分は一体どこに立つだろうか。滑りやすい所か、或(ある)いはしっかりとした所に立つのか。

 外国ではよく大きな高い建物を何も使わないで、素手で壁を伝ってずうっと屋上まで上っていくという冒険家がいる。彼はほんの少しの空間、あるいはちょっとした出っ張りでも見逃すことなく手でしっかりと壁を伝って高い所に上っていく。

 ある一人の冒険家が九分九厘まで行った時、あっという間に体が宙に浮いて地べたに叩きつけられてしまった。彼が大丈夫だと思ってつかんだ所は、実は蜘蛛(くも)の黒い巣であったため落ちてしまったのであった。人間は、いつもこうした確かでない所を歩いているような生活、これが神を知らない人達の人生ではないかと思う。

 アダムが罪を犯し、エバと二人、神様から身を隠した時に神様は「アダムよ。汝は何処(いずこ)におるや。」と声をおかけになった。あなたは今、何処(どこ)にいるのか。あなたは私がここにいなさい、と言ったその義をなくして、一体どこに身を隠してしまったのか。もちろん神様は、どこにアダムが隠れているのか分かっていらっしゃった。けれどもアダムに「あなたは、今何処(どこ)にいるのか?」とお尋ねになった。

 今日、神様は私達にも「あなたは今、どこに立っているのか。」とおたずねになる。あなたが立っているところは、この世の知恵、悪魔が支配する世界であろうか。それとも神様の確かな聖書の御約束の上に立っているであろうか。

 あなたは何の上に人生を築いていらっしゃるだろうか。あなたの人生、職業、生涯は何の上に建てられているだろうか。「私は学校で勉強した自分の勉強の上に、人生を立てます。」あるいは「自分の才能の上に人生を築きます。」と言う人も多くいる。

 日本には昔から芸は身を助く≠ニいう言葉がある。芸というのは手芸とか園芸とか芸術とかいう芸である。絵や音楽やなにか一つの特別な才能を磨いた人は一生、経済的に困ることなく自分の生活を支えていけるという意味である。だから一芸に秀(ひい)でるように、と昔の人はよく言った。数学や音楽が出来なくてもいい、とにかく何かひとつ技(わざ)を身につけなさい、そうすればその技が生涯あなたの生活を支えていくだろうというわけである。     ( 続 く )


◎ 暗誦聖句ペテロ前書四章一四節前半


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