◆ ロマ書の学び(44)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年三月二一日号
         ▽ 神との平和


また彼により信仰によりて今、立つところの恩恵(めぐみ)に入(い)ることを得(え)、神の栄光を望みて喜ぶなり。
                  ロマ書五章二節


 多くの日本人は自分の力とか才能、技術に頼りがちである。日本人に信仰の話をすると、「いや、私は自分のこの腕以外に頼ることをしない。」と答える。しかし不況の中、どんなにいい腕があっても仕事が来なければ自分の生活を支えることは難しい時代になった。私たちは自分が何の上に人生を築こうとしているのか。何処に立っているのか。

信仰によりて∞彼により 信仰によりて 今

 イエス・キリストを通して私たちは信仰によって神様の恵みに与かることができる。

 神様の恵みをいただくことができるということは、言葉で言い表すことの出来ない大変な感謝なことではないかと思う。

 もし、「恵み」がなかったら、あなたは今何処にいるだろうか?もし神様の恵みがなければ、あなたは今何処に立ち止まり、何処にいるだろうか。

詩篇一篇一節を見ると、

悪(あし)きものの謀略(はかりごと)にあゆまず 罪人の途(みち)にたたず 嘲(あざけ)るものの座にすわらぬ者は幸(さいわ)いなり。

と書いてある。

 私たちは油断すると、あっという間にこうした罪の世界に誘われ、落ち込んでしまう。

 イエス・キリストを信じることによって、その信仰の故に神様のご用意下さった恵みの中に入ることができる。

 もし、恵みがなかったならば…。神様の愛と憐れみを受ける資格がないのに、もし神様の恵みがなければ、私はどんな世界にいただろうか…と。

 ロマ書五章を読むたびに私は自分自身の過去を思い起こし、確かに神様の憐れみによって救われたのだと思う。

 私の一〇代の初めは太平洋戦争の最中で、今でいう中学一年の時は、多くの若者が「予科練」に入りゼロ戦などに乗って体当たりでアメリカを倒すということを盛んにやっていた時代である。勤労動員で、全くお金を貰わずに農家の手伝いに行ったり、ペンキ塗り、工場で働かされたり、いろいろな事をさせられた。

 一〇代の半ばに戦争が終わり、今度は自分達の寄って立つところが無くなってしまった時代となる。よりどころのない人生とは、本当に恐ろしいものである。    
            ( 続 く )


◎暗誦聖句  創世記三章九節


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