◆ ロマ書の学び(46)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年四月四日号
         ▽ 神との平和


我等のなお弱かりし時、キリスト定まりたる日に及びて、敬虔ならぬ者のために死に給えり。それ義人(ぎじん)のために死ぬるもの殆(ほとん)どなし、仁者(じんしゃ)のためには死ぬることを厭(いと)わぬ者もやあらん。=@ ロマ書五章六、七節


 私の父は仏教徒であり、大変しつけが厳しかった。そういう中にあって私は聖書を読みながら「私は違う。私は違う。このロマ書三章の言っていることは違う。私じゃない。」と抵抗しながら聖書を読んだ。

 聖書の中にはユダヤ人(びと)もギリシャ人(びと)もみな罪の下にあり、…録(しる)して義人なし。一人だになし。=@と書いてあり、正しい者は一人もいない、この世に正しい者は誰一人いないんだということに愕然とした。

 私は他の人の前では、クラスの委員長や、学級委員として偉そうなことを言っているが、自分一人になった時、 一体何を考え、何をしているんだろうか、と思った。

 思春期から青年期、これは世界中どこの若者でもそうであろうが男の子であれば女性に興味があり、女性であれば男性に興味が湧くものである。戦後の混乱の中、好色文学というものがたくさん増えてきて、そういうものも読みあさったこともある。

 しかし、全然心の安らぎが湧いてこない、喜びのない、むしろ他の人達の顔を見ることが恥ずかしいような、何か自分がいつも悪い事をしているような感じがしていた。

 そして次にたどったのは心理学の勉強であった。東大教授の書いた心理学の本や有名な作家の書いた本を読みあさったりした。心理学を勉強すれば、自分は何か土台を見つけることが出来るかもしれないと思ったからである。

 思春期の性に対する関心や、世の中の様々な快楽を追い求める思いがあった。外側から見るならば学校のクラス委員をやっている立派な人間であるが、心の中は乱れに乱れている腐れきった者だと自覚していた。そして恥ずかしくて人前に出ることが出来なかった。

 心理学を勉強すればこの迷いから逃れることが出来るかもしれないと思って、一生懸命、心理学の本を読んで勉強した。そして心理学を通して異性に対する興味というのは誰もがもつことだということ、また、そうした興味というものは正しいルートに乗せなくてはいけないということがわかった。

 と同時に自分の関心がそういう方に向かないようにするには、どうしたら良いのか、スポーツに打ち込むとか勉強に打ち込むとか、人生の目的をもってそれに打ち込むのだということも、心理学から教えられた。しかしそういう学問というものは決して人間を変える力はなかった。    

(続く)

◎ 暗誦聖句 コリント後書五章一七節


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