◆ ロマ書の学び(47)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年四月一八日号
         ▽ 神との平和


 チャールズ・ソロモン博士は、有名な飛行機会社のカウンセラーをなさっていた。けれども、この先生自身が心理学でカウンセリングを勉強したのに、ノイローゼになってしまった。人間がつくったカウンセリングでは人を救うことが出来ない。この先生は一生懸命ロマ書を勉強した。人間は聖書の御言葉によってカウンセリングを受けなければならない、ということに気がついたと言われた。


 ソロモン先生と私とは非常に似た経歴をしていた。人間が作り出したpsychology(心理学)やpsychiatry(精神分析)、哲学あるいは様々な人間の知恵による産物は、決して人間を救う力はない。「いつも誰かに見られている、いつか自分に裁きが来るぞ、」という恐怖感はたとえようのない恐ろしい状況であった。心に安らぎがないのである。いつか裁きが来るという不安があった。こうして逃げまどっている時に神様は、聖書の御言葉を通し、私の罪・けがれも、イエス・キリストを信じるならば赦(ゆる)される、という約束をお示し下さった。


 若い頃、私もお酒を飲む席に連なったり、或いは親戚の者に教わって、ダンスや麻雀をやったり、色々な遊びをやらされた。(自分からそれをやるということは、あまりなかったのであるが…。)世間一般の人と同じにやってみるかということで、誘われて入った。

 そういう中にあって、決して心の安らぎはなく、いつも神様を恐れ、いつか自分の全てが、明らかになってしまう、いつか自分の正体がばれる(、、、)ぞという不安があった。それを隠そう隠そうとしている時は本当にもう不安と恐れだけで安心感がない。

 私は神様に全てを明け渡し「神様、あなたは私の欠点も、こうした心の中の欲望も全てご存知です。もう神様に逆らうことをやめます。どうかイエス・キリストの十字架の血によって、洗い清めて下さい。私の力と努力では神様の愛と恵みを受ける資格がありません。全くお手上げです。神様に完全に降伏します。」とお祈りをした。

 その時に、怒涛のような波に流された思いがした。そして静かな神様の赦しの御声をうかがったのである。その時から私の人生は変わった。私は今、神様の赦しをいただいて、この聖書に自分の人生を築いてゆくのだ、ということを確信した。

 それまであれこれ捜し求めて人生の土台を築こうとしていたが、最後は神様の約束の言葉以外に立つべきところがないとわかったのである。それ以来もう五〇年を越えたが、本当に神様により頼んで良かったなあと思っている。

されど我等がなお罪人たりし時、キリスト我等のために死に給いしに由(よ)りて、神は我らに対する愛をあらわし給えり。=@  

   ロマ書五章八節 (続く)

 


◎ 暗誦聖句 申命記四章七節
われらの神エホバは 我らがこれによびもとむるに 常に我らに近く在(いま)すなり。何(いづれ)の国人(くにびと)か斯(かく)のごとく大(おおい)にして神これに近く存すぞ


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