◆ ロマ書の学び(50)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年五月九日号
         ▽ 神との平和を

 

 最近の糖尿病のビデオを見ると、糖尿食ほど素晴らしい食事はないと医者が言う。実際に自分でやってみて、なるほど健康に効果があると思う。

 私たちが人生の様々な苦しみ、苦い経験をする時は、言わば糖尿病の宣告を受けるのと同じなのである。

「あー、これまで楽しんでいたあれやこれ、お酒も飲めなくなるし、タバコも吸えなくなる。ダンスにも行けなくなる。あれもいけない、これもいけない。そんな窮屈な生活は嫌だなあ…。」と。

 ところが、神様の下さる霊のまことの乳である、神様の御言葉を慕い求めていくと、これまで自分が飢え渇くようにやっていたものが欲しくなくなってくる。不思議だなあと思う。一ヶ月位そういう食事をしていると、それまで欲しくて欲しくてしようがなかったものが、もういらなくなるのだ。たとえばチョコレートなど…。

 神様の下さる霊のまことの乳を慕い求めていくなら、私たちは太り過ぎず、栄養過多になり過ぎず、しかも健康体でいることができる。本当に不思議なことだ。私たちは、追いかけてくるという神の呪い、裁きを恐れることがなくなってくる。

 本当に神様は私の罪・けがれを赦して下さり、いつでも神様に向かって、声を上げるならば神様と親しい交わりが出来るのだ。神様と私とは敵の関係ではなくして親と子どもの関係なんだ、ということが分かってくる。

 ある一人の方のカウンセリングをした時のことは今でも印象深く残っている。

 彼は「私は戦争中、中国で何も悪いことをしていない村人が逃げ惑うのを、自分の手で殺しました。だからそのことを知られたくないと思って…神はいない、神はいない、と思っていたのです。自分の罪をいつも隠そうとして、神はいないと言って神を認めようとしなかったんです。」と言った。

 その日、私は聖書を通してイザヤ書の中からたとえその罪が緋(ひ)のように紅(あか)くても雪のように白くされる。≠ニいうことをお話した。この人は、その聖句を通して、本当にイエス様の前にひざまづいて、救い主と認めた。神様は、私たちが罪を言いあらわすならばその罪を赦して下さる。そして東が西と絶対交わることがないように罪を遠くにして下さるのである。

その我らより咎を遠ざけたもうことは、東の西より遠きがごとし。

     詩篇一〇三篇一二節

               (続く)


◎ 暗誦聖句   テサロニケ後書二章一七節


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