◆ ロマ書の学び(51)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年五月一六日号
         ▽ 神との平和

 

「この日の後われ彼らと立つる契約はこれなり。」と主言い給う。「また我が律法をその心に置き、その思いに印(しる)さん。」と言い給いて「この後、また彼らの罪と不法とを思い入でざるべし。」と主言い給う。=@

     ヘブル書一〇章一六〜一七節

 新改訳聖書では、
それらの日の後、わたしが彼らと結ぼうとしている契 約は、これである、主は言われる。わたしは、わたし の律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。 わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出す ことはしない。

とある。

 あなたをこの地上に生かして下さり、あなたを造り、日々支えて下さっている神様が、「これから決してあなたの罪けがれを、思い出すことはしない。あなたを義と認めている。だから生涯イエス・キリストの十字架のところに立ちなさい。イエス・キリストと共に人生を歩んで行きなさい。神と共に生きていくなら、私はあなたを私の愛する子どもとして、家族の一員として支え導く、栄光の望みをもって進んで行きなさい。」とおっしゃるのだ。。

人おのおのその隣りとその兄弟に教えて、汝エホバを知れとまた言わじ そは小より大にいたるまでことごとく我を知るべければなりとエホバ言い給う。…我、彼らの不義を赦しその罪をまた思わざるべし。

           エレミヤ記三一章三一、三四節

 「神との平和」それは良心の呵責(かしゃく)、良心の咎(とが)めから解放されることであり、神様の裁きから解放されることである。自由にこの地上の生涯を喜ぶことであり、誰からも後ろ指(ゆび)を指されることなく、本当に神様の子どもとして堂々と、自分の道を邁進(まいしん)できる生涯なのである。

 どうしても抜け出すことができないという悪い習慣を持つ方がいるかもしれない。また、自分の楽しみのために捨てることが出来ない娯楽があるかもしれない。しかし、イエス・キリストを見上げることによって、一つ一つ、惜しむことなく捨てることができるようにされる。

 私たちは弱く、時には倒れ、つまずき、神様から目をそらしてしまいがちな者である。しかし神様は聖書に書かれている約束の通りに、私たち一人一人を励まし、たとえ七回転んでも八回立ち上がることが出来るように支えて下さる。確かな御言葉の上に人生の土台を築いてゆこう。

そは義(ただ)しき者は七たびたおるるともまた起く。
             箴言二四章一六節 
                 ( 続 く )


◎ 暗誦聖句  申命記七章六節
 其(そ)は汝は汝の神エホバの聖民(きよきたみ)なればなり。


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