◆ ロマ書の学び(53)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年五月三〇日号
         ▽ 神との平和

 

 「うちは仏教の家なんだから、絶対クリスチャンになっちゃいけない。教会なんか行くな!」大変きつく教会行きを止められた。そこで私はその頃、戦争が終わってから英会話を勉強したいということで、教会へ行くとただ(、、)で宣教師が英語を教えてくれるから、とそれを口実にして教会に行った。

  初めは、英会話の勉強に行ったわけだがやがて、その事がきっかけとなって、聖書を読み始める事となった。

 ある日、家にいて英語の聖書を練習しながら読んでいた。全く英語の分からない父親が「お前クリスチャンになったのか。」と言ったのである。「へぇっ?」こっちがびっくりした。「お前の読んでいるのは、どうも耶蘇教(やそきょう)の教えらしい。」と言うわけで、「絶対、クリスチャンになっちゃいけない。うちは仏教徒なんだから、クリスチャンになっちゃいけない。」と。

 私は神様を信じ救いをいただいた。そしてもう毎日のように聖書を読みながら、また仕事を続けたわけだが、ある時父親が厳しい顔をして言った。

 「お前、クリスチャンになったのか。」「はい。」「しょうがない。なったものはしょうがないけど、絶対、牧師にはなるなよ。…牧師になったら日本で食べていけないから。」と。でも神様は日々必要な物をお与え下さり、私達は路頭に迷う事もなく毎日必要な物を神様から与えられて生活することが出来ている。

 あなたの人生は、あなたのお父さん、お母さんではなくて、あなた自身で、自分でコースを決めなければいけない。自分でどういう人生を生きたいのか、どういう生涯を求めていきたいのか、自分の心でしっかり祈って神様から与えられるということが大事だと思う。

 私達はよく「もうしょうがない。親が学校へ行けと言ったから行ったんだ。親が医者になれと言ったから医者の勉強をしたんだ。学校の先生がこう言ったからそうしたんだ。」といって、いつも誰かのせい(、、)にする。誰かの責任にしたいのだろう。そしてなかなか自分で選んだ道、という風にして自分でその実を刈り取ろうとしない。

 日本人の口癖の一つだと思うのだが非常に気になる表現がある。「みんながやってる」「みんなが言ってる」という言葉である。本当にみんなが言っているのだろうか。本当にみんながやっているのだろうか。ここには落とし穴があり、また心理学的に興味深い面があると思う。 

        (続く)

◎暗誦聖句 申命記一〇章一六節
「然(さら)ば汝ら心に割礼(かつれい)を行へ重ねて項(うなじ)を強(こわ)くするなかれ」

 


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