◆ ロマ書の学び(56)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年六月二〇日号
         ▽ 神との平和

 

「神様。自分はどうしてもお客を開拓する事ができません。仕事をもっと拡張したいと思うので仕事を与えて下さい。」とあなたは祈っているだろうか。信仰を働かせる、とはこういうことなのである。

 ジョージ少年が斧を使ったように、皆さんは神様からいただいた信仰、イエス・キリストの十字架を信仰によって受け止めたならば、その信仰を使って神様があなたを祝福なさろうとする事を、自分で味わってほしい。

 もし皆さんと私との違いが少しでもあるならば、私は救われてから毎日毎日信仰を働かせて、信仰によって神様から祝福をいただいている点だろう。信仰によって、父親が「絶対、日本では牧師になっては食べていけないぞ。」と言うにもかかわらず、私たちは食べることが出来ているのだ。

 ジョージ・ミューラーという有名な孤児院の創始者がいた。彼は二〇〇〇人もの孤児の世話をした。毎日毎日祈った。お昼ご飯が何もない、パンがない。でもジョージ・ミューラー先生は、お手伝いさんに言った。

「テーブルにプレートをセットして下さい。」

「でも先生、私たちはパン一切れもないんです。」

「いいから、セットして下さい。」

テーブルをセットする、ということは神様が必ずくださる、という信仰なのである。そしてお昼時間が来る。向こうの方から馬車の音が聞こえ、パン屋さんがたくさんのパンを運んで来てその食卓を満たしたと、伝記に書かれている。これが信仰を働かしたものなのである。

 クリスチャン生活の成長の一つは何かというならば、どれ程皆さんが個人個人の生活の中で、お金、結婚、職場、健康、学習のこと、何であれ神様が与えられた信仰を働かせるかということである。そうするならば確かに神様が私を救って下さった、私と神様との間は喧嘩状態ではなくて、神様との平和があるのだという確信が生まれる。

斯(か)く我ら信仰によりて義とせられたれば、我らの主 イエス・キリストに頼(よ)り、神に対して平和を得たり。また、彼により信仰によりて今、立つところの恩恵に入ることを得、神の栄光を望みて喜ぶなり。

 然(しか)のみならず患難をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり。希望は恥を来らせず、我らに賜いたる聖霊によりて神の愛、われらの心に注げばなり。
       ロマ書五章一〜五節
  ( 続 く )


◎ 暗誦聖句  申命記一三章四節 前半
汝らは・・・その誡命(いましめ)を守り、


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