◆ ロマ書の学び(68)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年九月二六日号
         ▽ 神との平和

 結婚した夫婦は、婚姻届(こんいんとどけ)を市役所へ持って行く。婚姻届を出しても、もし二人が全然一緒に生活しないならば、夫婦とは言えない。夫婦という形で性的に結ばれた時に初めて本当の意味で一つにされる。人は、父母を離れて、男と女が結ばれ一体となるとイエス様が仰(おお)せになられた。

 〔一つになる〕男女それぞれ違った身体であるけれども一緒のペースでこの結婚の喜びを味わった時に本当に一つになった喜びが沸いてくる。婚姻届を出したという事実以外に本当に自分達は、一つの身体にされたのだという喜びである。これが感情である。結婚は婚姻届という〈事実〉と同時に〈喜ぶ〉という感情が動いてくる。

 したがって結婚していても喜びのない夫婦なら、むしろ破滅という状態かもしれない。クリスチャンはイエス様を信じて神の裁きから逃れることが出来たという聖書の戸籍謄本がある。

 毎日祈り、神様を仰ぎ見、神様がこんなに大きな祝福を下さったので、嬉しいという喜びの感情が、信仰生活に出てくる。事実は聖書のお言葉であり、感情は自分自身日々の生活の中に、罪を赦されそして神様が祈りに答えて下さり、生きてはたらいていらっしゃるという実感をもって、自らが喜び、感情の爆発が出てくるのである。

 イギリスのブラッケントレイツという所に、ウイリアム・ビクソンという人がいた。ある日彼が住んでいるアパートのすぐ近くで火災が起きた。そのアパートには一人のお婆さんと孤児となった孫が住んでいた。

 お婆さんはいろんな人に助けられて、火の中から逃れることが出来た。が、家の中には孫がまだいた。火の勢いはどんどん強くなっていく。そこにビクソンという人が建物の鉄の樋(とい)を伝って二階にいたその孫息子を助け出した。暫くしてこのお婆さんが亡くなって孤児となった男の子を誰がこれから面倒みるか、裁判所で審議された。その町で養子にしたいという希望者が二人いた。
一人は「私は息子を亡くしたので、この子供を貰いたい。」と言った。

 ビクソンさんも同じように息子を亡くしたのだが、黙って裁判官の前に自分の手を差し出した。何一つ彼は言う必要がなかった。火事の中で死にそうであったその子供を助け出す為に彼は両手にものすごい火傷(やけど)をおっていた。彼は自分の愛をこの子供に身をもって示した。イエス様はご自分の命を十字架におつけになり、神様の愛を私達にお示し下さった。これほどの愛に更にしるしを求める必要はない。

 「神との平和」それは私達がなお罪人であった時にキリストが私達のために死んで下さったことにより、神は私達に対する愛を表わして下さったことにより、与えられるものである。             (続く)

◎暗誦聖句 箴言二〇章二三節
二種のふんどうはエホバに憎まる 虚偽(いつわり)の權衡(はかり)は善(よ) からず


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