◆ ロマ書の学び(79)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇四年一二月一二日号
         ▽ み言葉を生きる

 

 罪は、モーセを通して神様が律法をお与えになった後から存在したわけではない。それ以前に、すでに人類の始まりから罪は存在した。しかし罪は法律ができてから、それによって裁(さば)かれる。人間の罪はそうした法的な罪だけでなく、心の内側にある神様に対する不従順、不信仰のそれをも指す。


 神学校では組織神学≠勉強する。組織神学はクリスチャンの信仰の土台骨、また、日常生活の様々な疑問に対して聖書はどう教えているかということを学ぶ学問である。『組織神学』を書いたヘンリー・シーセンという学者は、創世記の一章二六節、二七節のところの神の像(かたち)に、神に象(かたど)って人間が造られた。≠ニいうところを@それは肉体的類似ではなく、A精神的な類似、B道徳的な類似、C社会的な類似である(三六〇頁以降)、と説明している。


 第一に、神様は人間の肉体との類似性をもたない。

 東京駅に行くことがあれば、総武線快速乗り口の地下に降りる入口の少し上をご覧頂きたい。そこには『天地創造』と題された立派なステンド・グラスがはめ込まれている。これは地下工事完成時に、国鉄総裁だった十合(そごう)というクリスチャンが描かせたとか。

 日本の表玄関といわれる東京駅構内に天地創造≠フ神様のみ業を示すということは、相当な勇気が要ったことだろうと思うが、時の国鉄総裁は大胆に自分の思いを込めたようだ。そして、東京駅の皇居側、中央口を出たところには一つの銅像がある。それには『アガペー』と書いてある。アガペーとは、絶対的な神の愛ということだ。愛には三種類あるといわれている。アガペーというのは神様だけがお用いになる絶対的な愛、もう一つはフィレオという兄弟愛、もう一つはエロス、人間の男女の愛だ。『アガペー』と題する像が東京駅中央出口に立っている。

 過去の画家が様々に描いた神様の図、皆さんもご覧になったことがおありだろう。神様の指と人間の指を合わせるように手を差し伸べている姿、白髪の老人が、頭を差し出している人間に手を差し伸べて、あたかも命を与えているような様子が描かれた絵…。そういうイメージで、神様とは白髪の老人だと思ってしまう。人間は神のかたちに造られたというから神様も同じようなかたちと受け取りやすいが、それは大きな間違いである。神のかたちに造られたということは、肉体、体の類似ではない。神様は人間と同じ肉体、このかたちをとっていらっしゃるのではない。          

 ( 続 く )


◎暗誦聖句 エペソ書二章二〇節後半
…キリスト・イエス自らその隅(すみ)の首石(おやいし)たり


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