◆ ロマ書の学び(80)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年一月九日号
         ▽ み言葉を生きる

 

 二番目に、神のかたちにあわせてということは、精神的な類似性であったということである。神は霊であり、人間の魂も霊である。霊の本質的な属性(ぞくせい)は、理性と良心、そして意志であるといわれる。理性とは「理性的な考え方」とか「理性的な人」とか言うあの理性である。

 良心、それは「悪いことをすれば良心に痛みを感じる」という具合に人間の道徳性をあらわす。さらに人間の意志は、自由な行為者である。自由な意志を持って何かを行動するということである。この理性と、良心、意志、こういうことが、神のかたちに似せて造られた人間の姿であるという。

 使徒パウロはエペソ書四章において、真理(まこと)に基(もと)づく義(ぎ)と聖(きよさ)とをそなえた神にかたどって造られた≠ニ、人間の新しく生まれた姿を表現している。新しい人を着(き)る≠ニいう表現だ。真理の義と、聖とをそなえた神にかたどって作られた…。神様を信じる者達の姿だ。

 第三に、神様のお姿に似せて造られた人間は社会的な類似性を持つ。その類似性とは、愛するということだ。愛するという感情。人間は常に交わりを求める。以前、直木賞を受賞した女流作家の小池まり子氏が朝日新聞のコラムにこう書いていた。『人間はみんな孤独である。そして寂しがり屋であるから、孤独な中にあって交わりを求める。』と。

 私たちは確かに自分一人で何か仕事をする。パソコンに向かっていれば、人間でなくてもどんどん打ち込んでいればそれでいいかも知れない。しかし、パソコンの向こうにいるのはやはり人間だ。Eメールがはやって、沢山(たくさん)の犯罪が起こっている。そんなにも多くの人々がEメールに頼って「出会い」を求めているのかと思うほど、良い面よりも犯罪に使われる方が多い。皆さんはどうだろうか。家に帰ると、「ああ疲れた。」と、すぐにパソコンに電源を入れて「何かメール入ってないかなあ。」と見て、ほっとするだろうか。パソコンが話し相手ではお気の毒だと思う。

 神様の下さった人間同士の語り合いは心が触れ合う。どうして多くの人たちがEメールやインターネット、あるいは携帯電話で悪い方に誘われてしまうのだろうか。Eメールは相手の顔が見えない。大体人間は目を見れば、その人がまじめな人か、本気かどうかがわかる。ところがパソコンでは全然相手がわからない。心をくすぐるような甘い言葉で誘う。特に悪いことをする人たちはそうしたことにたけているから、Eメールは十分気をつけなければいけない。牧師はパソコンの悪口を言っていると思わないで頂きたい。これは警告である。        

  ( 続 く )


◎暗誦聖句 テサロニケ前書四章一二節
これ外(そと)の人に対して正しく行い、また自(みずか)ら乏(とも)しきことなからん為(ため)なり。


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