◆ ロマ書の学び(87)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年三月一三日号
         ▽ み言葉を生きる

 

 ロマ書の五章と六章は大変関連が深く、五章の後半から六章の前半へと文がつながっていく。前にもふれたが、聖書の中で最も難しい場所がこのロマ書だといわれている。しかしロマ書は、指輪に例えるなら中央にある宝石と同じように大変価値あるものと考えられている。短いロマ書の中に、聖書全体を貫(つらぬ)く神様のご計画とはどのようなものであるのか、また人類の救いについて聖書が教え示している基本的な骨組みを、しっかり学ぶことができる。

 聖書の中心テーマは人間ではない。パウロはロマ書の中でそのことをはっきり教えている。聖書は人間の救いや幸福のために書かれたと思われがちだが、ロマ書を読んでいくと聖書の中心は主イエス・キリストにあるということがわかる。イエス様こそ聖書全体を貫く中心的お方であり、同時に人間の救いもまたイエス様を中心として考えなければならない。世の中は人間が主体となって動いている。けれども聖書は明らかに、神様が人間をお造りになったこと、また、人間をなぜお救いになるのかを教えている。

 クリスチャンになるという時に、自分の人生をやり直すとか、罪をもうこれ以上重ねたくないという責め苦、苦しみからの解放を願って救いを求めると思う。しかし、ロマ書を読んでいくと必ずしもそれが私たちの信仰の中心ではない、ということがわかってくる。神様はイエス・キリストこそ聖書の中心であり、同時に、イエス様を中心として私達は聖書を読んでいかなければならない、と教えられている。

 多くの人たちは聖書を読むたび、
「どうして聖書はこれほど鋭(するど)く私の心をえぐり出し、これでもかこれでもかという具合に執拗(しつよう)に私の罪を攻めるのか。だから聖書は読みたくない。」と言う。しかし、私達はこうした人間の苦しみ、生きる目的というものをこのロマ書の中から探ることができる。

 私は、このロマ書の内容がいくらかわかってきたかなといえるまでに五〇年かかっている。信仰生活の全ての年月、ロマ書を勉強して、なお、わからないところがあるわけだから、学べば学ぶほど奥行きが深いということを覚えて頂きたい。

 では、ロマ書は全然わからないかというと、そんなことはない。ロマ書の中心的なテーマは「罪」、そして、中心人物は「イエス様」である。その中のテーマとしては人間の「罪」と神様による「救い」、そこに示された神様の大きな「恵み」ということだ。さらに神様は、罪の世界から私たちを救い出し、日々守ってくださり、限りない愛を注いでくださる。私たちはこの地上の生活を終えてから栄光の姿に変えられる、という大きな希望を、このロマ通して学ぶことができる。

     (続く)

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