◆ ロマ書の学び(88)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年三月二〇日号
         ▽ み言葉を生きる

 

もし一人の咎(とが)のために一人によりて死は王となりた らんには、まして恩恵(めぐみ)と義の賜物(たまもの)とを豊かに受くる 者は、一人のイエス・キリストにより生命(いのち)に在(あ)りて王 たらざらんや。=@  

      ロマ五章一七節

 ロマ書を解説した聖書学者は多くいるが、最もよく知られているのが長老派の系統を持つチャールズ・ハッジという学者である。ハッジは懇切(こんせつ)丁寧に理論を進めていく。これは神学校三年間で学ぶレベルではなく、その上のセミナリーや大学院で学ぶ教科書になる。残念なことに、このハッジという学者はバプテストの立場がなかったので、バプテスマという点においては私たちと明確に立場を異にする。けれども全般的にチャールズ・ハッジが書いたロマ書の註解書は、最高の部類に属すると教わってきた。

 ロマ書五章一七節のところで、ハッジは次のようなポイントをあげている。

「神様の下さる義という贈り物、そしてそこにあらわされる、はかることが出来ない大きな恵み、そのことをよく味わい、日々それを感謝していかなければならない。」と。

 ハッジは五章一七節を大変重要な聖句とし、もう一つ大切なポイント、「人間はなぜ神様から裁きを受けなければいけないのか?」ということをあげている。アダムが犯した罪であり、問題であるならば、アダムだけがその罰を受ければいいではないか、と考えやすい。

 若い人は、「私は何一つ悪いことをしていない。なのになぜ神様は私達を裁くのか。」と、突(つ)っかかってくる。それに対してハッジは、「いやそうではない。あなたが裁かれるのはアダムが犯した罪のためではなく、アダムが神様に逆らい罪を犯したその罪の性質を遺伝的に持っていて、神様はその罪から救い出そうとしてイエス様をお遣(つか)わしになったにもかかわらず、あなたはそれを拒み続けるところに罪がある。」と、言う。だから私たちは今日、アダムが犯した原罪(げんざい)、アダムが犯した罪のために裁かれるのではない。

 私たちは、アダムの犯した罪の結果、遺伝的に、罪の性質を生まれつき持っていて、その流れで進んで行くならば、必ず「滅び」に落ち込んでいくということである。神様は限りない愛をもって、私達をその罪の束縛(そくばく)から解き放って下さろうとしてイエス・キリストをこの世にお遣わし下さった。それなのに、人間は、「自分の目で神様を見ることができない。だから神様を信じない。」と言う。これこそ人間の大きな罪である。  

(続く)


◎ 暗誦聖句 詩篇二三篇四節

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