◆ ロマ書の学び(95)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年五月一五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 フィリピンでは少し前までアメリカの大きな車がたくさん走っていた。良い車に見えても中身はオンボロである。フィリピンの人たちは自分達で修理をしながら車を使っているわけだが、エンジンは日本のトヨタのを使っている。彼らは車のボディはアメリカの頑丈なのを使い、エンジンは日本のトヨタや日産を入れる。後(うしろ)に力車(りきしゃ)をつけたヤマハのバイクは、二〇年ぐらい使われている。

 私達はアダムからもらった古い体を持っているが、アダムの性質によって生きているのではない。イエス様を信じ、イエス様の御力によって罪に打ち勝ち、神様に従っていこうとする。皆さんがご覧になれば「牧師だって、偉そうなことを言ってもあんなに罪を犯しているではないか。間違ったことを沢山やっているではないか。」ということがあるだろう。しかし私は、その度にビクビクする必要はない。神様によって私は許されているからだ。

 では、許されたからといって何をやってもいいかというとそうではない。「許された。もうやめよう。」と、決意を新たにし、次の時にはその誘惑に打ち勝っていく。一度誘惑に打ち勝つ経験をすると、その誘惑に負けないようになってくる。しかし私たちは自分を「抜け殻」とは言わない。私は「新しい人間になった」と言う。

 ここが問題だ。私達はイエス様と共に十字架について死ななければ、神様は私たちのうちに新しい生命を与えて下さらない。多くの人達は古いボディを持っていて、古いエンジンで動こうとするから止まってしまう。私達は神様から新しいエンジン、すなわち聖霊の内住を頂かなければクリスチャン生活を営(いとな)めない。だからパウロは「あなたのアダムから受け継いだ古い性質は十字架につけられて死んだと認めなさい。そして今あなたは、イエス・キリストの復活の生命によって生かされているんですよ。」と、教えている。

 我らキリストに接(つ)がれて、その死の状(さま)にひとしくば、その復活(よみがえり)にも等(ひと)しかるべし。

 我らは知る、われらの奮(ふる)き人、キリストと共に十字架につけられたるは、罪の體(からだ)ほろびて、此(こ)ののち罪に事(つか)えざらん為(ため)なるを。

 そは死にし者は罪より脱(のが)るるなり
                ロマ書六章五〜七節

 「われらの奮(ふる)き人」とは、アダムから受け継いだ古い性質、生まれつきの性質のことである。
 「そは死にし者は罪より脱(のが)るるなり。」とは、死んだ人間は罪の力から解放されている、ということである。                     (続く)

◎ 暗誦聖句  ロマ書一二章二節
またこの世にならうな、神の御意(みこころ)の善にして悦(よろこ)ぶべ く、かつ全(まった)きことをわきまえ知らんために心を更(か)え て新(あらた)にせよ。=@ 
 
 
 
 
 

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