◆ ロマ書の学び(96)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年五月二二日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 もし皆さんが、生まれた時から受け継いでいる性質、古いままの性質を持ったままで、自分の修行のため、勉強のためとか仕事や商売の利益のためにと信仰生活を送っているならば、必ず行きづまる。まず、あなたは死ななければならない。

 今、生化学の進歩は目ざましい。バイオ・テクノロジーはすばらしく進歩した。脳梗塞であるとか、アルツハイマーであるとか、様々な病気が遺伝子を入れ換えたり操作すればそういう病気はなくなるという時代になった。

 ところが人間にできないのは、アダムから受け継いだ罪の性質を殺すことだ。どんな立派な科学者や医者であっても、アダムから受け継いだ遺伝子、罪の性質は拭い去ることはできない。しかし私達がイエス様を信じるという瞬間、神様の側から働いて下さって私たちの古い性質は十字架につけられて死ぬ。

「あなたはもうアダムの性質の言うままに生きる必要はない。これから私の与える聖書の言葉を通して、霊のまことの乳である御言葉を通して育っていきなさい。」と、語りかけて下さる。

聖言葉(みことば)うち開くれば光をはなちて愚かなるものをさとからしむ=@       詩篇一一九篇一三〇節

 私達の内側を照らしてくださる光であるみ言葉は、満ち足りた栄養たっぷりな霊のまことの乳である。

 今から皆さんは、「もう私は死んだんだ。」と、考えていただきたい。誘惑が来た時に、「古い性質は死んだのだからそれはもう要らない。」と。

 それでも負けることがある。そこでパウロは、人類永遠のテーマをここで書いている。「すべてイエス様を信じる者は罪に対して死んだ。」と。ところが、クリスチャンはすべて今なお罪の中に生きている、という矛盾がある。聖書は明らかに「あなたの罪の性質はもう死にましたよ。」と言っている。ところが、実際の日々の生活の中に私達は悪いことをしてしまう、間違いを犯して誘惑に負けてしまうということがある。この二つをどう結合することができるのか?

 クリスチャンは、一度、罪に対して死んだ。絶対に罪の力によって征服をされることはない。ここが鍵だ。罪の力によってコントロールされることがなくなる。なぜなら私達の古い性質は死んだからだ。

 ここで問題なのは、罪の力である。皆さんは多分、誘惑は自分の内側から出てくると思っていらっしゃると思う。自分の願いが誘惑を引き寄せている、と。誘惑は、明らかに悪魔の側から注がれている。悪魔は信仰のない私達を自由自在に操っている。
          (続く)

 
◎暗誦聖句 ピリピ書二章五節
汝らキリスト・イエスの心を心とせよ

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