◆ ロマ書の学び(98)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年六月五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

罪の恐ろしさ、罪のもたらす結果は何か。


それ罪のはらう価は死なり、然れど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠の生命なり=@               ロマ書六章二三節

 私たちはイエス様を信じ救われたからといって、安心していてはいけない。救われてから成長しなければならないのである。赤ちゃんを育てるためには、お母さんが一回だけお乳を与えればそれでいいわけではない。赤ちゃんは毎日毎日、栄養分をいただかなければいけない。毎日、お母さんの愛情を受けて育つものなのだ。

 一粒の麦が地に落ちて死ななければ多くの実を結ぶことができない。私たちクリスチャンはあちらこちらに飛ばされてそこで証をし、育って実を結んでいく。多くの人々が「私はイエス様を一度信じたからもうそれでいいのだ。」と考えどんどん堕落していく。それは日本だけではなく、世界中どこに行ってもそういう人たちがいる。

 自分中心の考え方で動く人は必ず脱落していくのである。せっかく神様に依り頼むと決心しながら、自分の弱さや自分の思いの中にはまって脱落していく時に、その人々は大変大きな罪の代償を払わなければならない。

 私たちはイエス様に救われたときに、いかにも自分は何かの価値があるから神様によって救われた、選ばれたと勘違いをする。自分の努力とか、自分の能力とかで「私が教会に行かなければ牧師は困るだろう。私が献金しなければ教会が困るだろう。」などという風なプライドを持って集まる人たちは必ず神様から罰を受ける。

 使徒行伝一三章八節に、そこにエルマという魔術師がでてくる。彼は、自分の力で何でもやろうとし、総督を自分の方に引っ張ろうとして、パウロから厳しく叱責を受け、罰を受けた。

 コリント教会の信者も同じであった。パウロの厳しい伝道や厳しい御言葉の説き明かしについていけない人々は、私はアポロに、私はペテロに、私はパウロにつくと言って分裂が起こった。教会は決して聖人君子、天使の集まりではなく、社会の縮図である。だから、社会が悪ければ教会にもそのまま悪が入って来る。

 戦後アメリカの進駐軍が日本に来た時、不衛生だからという理由で、日本人は皆ボロボロの洋服を着たまま頭からDDTをかけられた。強烈な駆除剤であるDDTをかけると「しらみ」がいっぺんに全部死んでしまう。DDTは大変な猛毒を持つ物として今は世界中から廃止されているのだが。時には必要悪かも。  

  (続く)
 
◎暗誦聖句 ロマ書一三章七節A


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