◆ ロマ書の学び(102)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年七月三日号
         ▽ み言葉に生きる

 貧しい国の子供達は「キャンディーを一個買ってくれ」と言って商売をしている。家に帰ると、親が病気で寝ていたり、今日はいくら稼いだと全額取りあげられ、そしてまた行ってこいと言われる。彼らは「おしん」や鵜(う)飼いの「鵜」みたいに、働いて、収入は全部親に吸い上げられている。なんでか。パソコンやゲームのためではない。食べるために彼らは働くのだ。学校にも行っていない。

 日本の子供達はどうだろう。小学生の時代から、携帯電話片手にパソコンで遊んでいる。ムダが多いのではないだろうか。あなたの子供が悪いのではない。あなたが悪いのだ。あなたが子供を甘やかしているからいけないのである。小学生や中学生に携帯電話が本当に必要だろうか。必要な人は少ないと思う。

 私は長い間、携帯電話を持たなかったが生活できた。大切な連絡事項があれば、親が何時にどこそこにいるからそこへ連絡しなさい、とか、伝えることをメモにしておけばいいのである。あそびに使っている携帯電話代はどうしているのか?本当に携帯電話がなければ生活できない人はここにいるだろうか。少しでも心と手を携帯電話から離すようにお願いしたい。もっと神様に心を注いで、親としての責任を果していただきたい。

 若い人達は、アルバイト代で月謝を払っているだろうか。親に生活費を入れているか。自分のバイト代で教科書や参考書を買っているか。何に使っているのだろうか。日本でも唖然とするが、外国ではもっと唖然とする。一番携帯電話が発達しているのは、東南アジア、貧しい国であるという。

 最近、携帯電話による犯罪が多く聞かれる。あなたは自分の娘が何処に、どのような用事で携帯電話を使っているか、知っているだろうか。

 パソコンを使っている人達はどうだろう。アメリカでは、政府の高官が自分の事務室で勤務時間中に、パソコンを使って性的に不道徳なものを見ていたことが大変問題になった。

それ罪のはらう価(あたい)は死なり、然れど神の賜物(たまもの)は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠(とこしえ)の生命(いのち)なり=@    ロマ書六章二三節

 私たちは何処を見ても、罪の世界だということがよく分かる。そして罪のもたらす結果は、死である。私たちクリスチャンはもっと罪に対して敏感になるべきである。鈍感であってはいけない。皆がやっているから、今の時代は当たり前だから、と思っていないだろうか。(続く)

◎暗誦聖句  ホセア書六章一節後半

 


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