◆ ロマ書の学び(103)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年七月一〇日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 私たちは、イエス様を信じて救われた時から、何か悪いことをすると、当然心が痛む。それは聖霊があなたに対して悪いことから早く遠ざかりなさい、と示していらっしゃることなのだ。私たちは罪に対して、もっと敏感にならないといけない。なぜならば、私たちは罪を行うために救われたのではないからである。

されば罪を死ぬべきからだに王たらしめて其(そ)の欲に従うことなく、汝らの肢体(したい)を罪にささげて不義の器(うつわ)となさず、反(かえ)って死人の中より活(い)き返りたる者のごとく己を神にささげ、その肢体(したい)を義の器として神に捧げよ。=@         ロマ書六章一二〜一三節

 ここで使徒パウロははっきりとこのことを言っている。あなたは誰に仕(つか)えているか。あなたの主人は一人しかいないはずだと。イエス様を信じた者にとってはイエス・キリストこそ私のご主人である。私のマスターであり、主(しゅ)なのだ。

「ジキルとハイド」という有名な話がある。「ジキルとハイド」の「ハイド」は隠(かく)す、隠れるという英語である。ジキル博士は見た目には非常に立派な学者、或いは医者であるかもしれない。けれどもハイド(隠れている部分)は、恐ろしい罪の権化(ごんげ)みたいなものだ。

 イエス様の聖さと、悪魔の罪深さとが同居することができるだろうか。イエス様を信じた時には、絶対それは成り立たない。なぜならば、あなたの力でも私の力でもなく、神様ご自身の聖霊の働きによってあなたの心の中に戦いが起こってくる。そして、もし、悪の力が強くなれば、聖霊の導く行為を押さえてしまう。あっという間に、体にその結果が出てくる。ある種の恐怖症、不安症となってあらわれる。あるいは手足がしびれてきたり、心臓の鼓動が速くなるとか、様々な病気としてあらわれることがあるとカウンセラーはいう。

 私は決して、全ての病気が罪の結果、と言っているのではない。しかし、心の中で聖霊の働きと悪の力とが、拮抗してぶつかり合うと、人間の体は機能を停止して、体のあちこちに故障が出てくる。

 最近のアメリカの有名な『ニューズ・ウィーク』によると、ある年、日本での交通事故で亡くなった人は、一万人いたそうだ。そして、会社の中堅職、政府の役員職の三〇代から四五才までの人のうち、一年間で三万人が自死をした。政府の役人、公務員、学校の先生、会社経営者、中堅職にある人などが精神的に圧迫されて亡くなった。

 交通事故で一万人だが、それをはるかに超えて三万人もの人が自死しているのだ。どれほど今、日本の社会が苦しみにあえいでいるかという証拠だと思う。これまた、神を無視した国のもたらした結果なのである。  

    ( 続 く )


◎ 暗誦聖句 イザヤ書二章二二節
なんぢら鼻より息のいでいりする人に倚(よ)ることをやめよ斯(かか)るものは何ぞ、かぞうるに足らん  

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