◆ ロマ書の学び(111)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年九月一八日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 「私たちは自分の罪については死んだ者であり、イエス・キリストにあって生きた者と思いなさい。そう認めて行動しなさい。今、私が生きているのは、私という古い性質ではなく、イエス・キリストにあって生かされている新しい命が私の人生を支配してくださっている。」

 しかし、現実には「私」という人物の肉体は生きている。ここに難しい戦いが出てくるのである。
以下に六つのポイントを示しておく。

一、【一四、一五節】本当にイエス・キリストによって罪を赦(ゆる)されイエス様を信じた人は、もはや罪があなたを支配することがないことをしっかり「学びなさい」。

二、【一六節】神様に仕えるか、それとも悪魔に仕えるか、どちらか一人の主人にしか仕えることができない
 ということを「知りなさい」。

三、【一七、一八節】このことを「覚えておきなさい」。あなたのした決心、あなたは罪ではなく、神様の正しさ、義を選んだことを覚えていなさい。

四、【一九、二〇節】何かを「しなさい」。イエス様を信じるまであなたが費やしてきたエネルギー、あなたが仕えてきた悪魔に対してすべてをなげうって従っていた情欲やエネルギーを、あなたを救ってくださった新しいご主人である、ただ一人の真の神様にだけ用い、仕えるようにしなさいと教えている。

五、【二一、二二節】罪はどのような実を結ぶのかよく「考えなさい」。

六、【二三節】罪の払う報酬と、神様がくださる永遠の命という贈り物、そのことについてよく「思い起こし」て考えなさい。
この六つのポイントは、一、学びなさい。二、知りなさい。三、覚えなさい。四、行いなさい。五、考えなさい。六、思い起こしなさい、となる。

 あなたは、信仰において最も勝利をおさめることができる道に入ることを選ぶか。それとも自分が困った時だけ、宗教的にほっと(・・・)したい時だけイエス様を呼び求めるだろうか。気持ちを落ち着けるため、聖書を読むと眠くなるからと聖書を読むならば、このロマ書六章を理解することはできない。私たちはロマ書六章において信仰の確信とは何かを学んだ。自分が生きるのではない。使徒パウロは別のところで書いている。

もはや我生くるにあらず、キリスト我がうちに在りて、生くるなり。=@       ガラテヤ二章二〇節

使徒パウロの献身、力の秘密はここにある。(続く)

◎ 暗誦聖句 マタイ伝八章二節「」内

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