◆ ロマ書の学び(112)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年九月二五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 ローマ人への手紙(=ロマ書)第七章は第六章からの続きのため、六章をきちんと読んで理解していないと、七章、八章と続く意味が十分つかみ取れなくなる。

 六章においては二〇〇〇年前のイエス様の十字架と、現在の私とどのような関わりがあるのか、ということが大きな課題となる。

 若い人たちに個人伝道をすると、よく、「二〇〇〇年前のキリストの十字架は、今の私とどんな関係があるのですか?あのイエスという人は、自分が悪いことをして十字架につけられたのではないのですか?」と言われる。

 日本の学校では、イエス・キリストと言うお方は、釈迦や孔子、あるいはモハメッドと同列に扱われて、聖書に記されている信仰の対象としては教えられていない。

 一〇数年前、日本でオウム真理教がサリンガスを地下鉄でまき、多くの人々が目をやられたり、あるいは生命を奪われたりした。
 もう記憶にないかもしれないが、その時も、朝日新聞をはじめ大新聞は、声を一つにして、根本主義の立場をとる聖書信仰者を、大変激しく名指しで非難し、「根本主義のクリスチャンたちは危険な存在である」と吹聴したのであった。その時は、朝日新聞が口火を切った。

 二〇〇一年の九・一一同時多発テロでは、読売新聞が口火を切った。そして、朝日新聞の夕刊では、かなり大きな囲みで、『「イスラム原理主義」とは何か』という項目が出た。東大卒のイスラム教研究者で、当時国立民族博物館の教授をしていた臼杵(うすき)という人が、インタビューを受けた形で、なされていた。そこでは読売新聞よりもはるかに厳しい表現で、このファンダメンタリストは暴力をふるうということが書かれていた。

 私たちはマスコミが、聖書信仰に立ち、最もキリスト教会の中では穏やかな存在のクリスチャンたちをスケープゴート(いけにえ)とし、自分たちのおぞましい計画をあなたに、そして私に向けているということを自分の問題として捉えなくてはいけないと思う。

 当時、日本人は、あのニューヨークのテロ事件を、傍観者として、自分とは全く関係のない高見の見物のような思いで見ていた。マスコミの論調もそうだった。

 しかし、世界で最も不安定で、スパイ天国と言われているのが、実は日本である。日本は、金融界も大変ルーズで、警察も以前のような特攻とか秘密警察とかがないため、自由自在に外国人が入国して犯罪を犯すことが多いのだ。私たちとは無関係ではないのだ。  (続く)

◎ 暗誦聖句   詩篇一一九篇七一節

 

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。