◆ ロマ書の学び(114)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇五年一〇月九日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 マスコミが、私たちを暴力的な存在と非難しても、暴力で戦うのではない。ペンで書かれたものには、ペンで戦いをするのである。こうした報道関係の人たちが、公正さ、事実確認、人権尊重ということを言っておきながら落ち着いた平和な生活を求め、聖書を信じて生活しているクリスチャンを、危険な存在として大新聞で叩いている。これは決して黙っている問題ではないと思う。

 考えてみてほしい。読売新聞は、発行部数一〇〇〇万部、朝日新聞は七〇〇〜八〇〇万部と言われている。この二つの大新聞一七〇〇万部以上がクリスチャンの信仰生活をねらい撃ちしていたのである。しかも読売新聞に至っては、編集手帳の記者は、日本の外務省はなにをやっているのか、もっと情報を収集するべきである、危険な存在のものを探し出して、注意しなくてはいけない、と言っていたのである。

 これはイスラム過激派ではなくて、聖書の根本に立つ皆さまのことも干渉しろ、と言っているのである。

 買い物に行くにも、たえず電柱の後ろから、一人あるいは二人が無線機をもってあなたを追跡したらどうであろうか。あるいは、あなたの会話を全部盗聴されたらどうであろうか。しかもそれはいたずらではなく、いつどんな殺戮(さつりく)行為、テロを犯すかわからない存在として後を付けねらわれる、としたらこれはまさに人権侵害であり、民主主義の崩壊につながってくるのである。

 だからこそ、私たちはロマ書一三章で上に立つ者のために祈れ、と教えられているように、神様のお立てになった権威の座にある者のために祈らなければならない。

 私たちは他国の指導者を批判する前に、まず日本の政治を動かしている日本の政治家のために祈らなくてはならない。そして二〜三人の仲間たちだけではなく、できるだけ多くのお友達にもそれを話してもらいたいと思う。

 新聞・印刷物の威力は、皆さんの想像以上に、強い力をもって人々の心に入ってゆく。しかも、新聞報道は、自分たちが誤報を流しても、それを訂正する記事は小さく、一〜二行で終わってしまう。私たちは一度見たもの、読んだもの、聞いたものが大きな割合を占め、後から出たものはほとんど読まないものである。そういう恐いマスコミというものが、今、私たちの足元を狙っているということを覚えてほしい。こうした背景には人間の心を動揺させ、その心を神様から引き離そうと、悪魔の力が働いているということを忘れてはいけない。
                  ( 続 く )
 
◎ 暗誦聖句  エレミヤ哀歌三章二七節

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