◆ ロマ書の学び(125)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年一月八日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 当然、人間は様々なこうした心の戦いというものを経験する。また、いくら努力してもなかなか止められない『陰口を言う』『人の噂をする』ということがある。妬みの感情、口の災(わざわ)いというものは多くの人びとが、私を含めて経験するところであるとおもう。

 私達はこの肉の体に、自分の意思ではどうする事も出来ない、外部からの刺激に対して反応してしまう弱さを持つ。罪の法則があある。罪の力というものは、私達の理性も道徳観も全て踏みにじってしまって、そして悪い事をやってしまうという出来事へ発展してゆく。

 新聞を開いて三面記事を見るのが、恐い、うっとうしいと思うような忌(い)まわしい事件が毎日のように起こっている。しかもそれは、かつては考えられなかったような、消防士が火をつけてまわって、火事だと言って、最初に消しに行くとか、警察官が女性を暴行したり、あるいは学校の先生が子供を暴行したりと、これまで模範的だと思われた人が次々と悪い事をやって、新聞ざたになるわけである。

 では、そういう人達を私達は責めることが出来るだろうか?警察官、消防士、学校の先生はあなたと違う体や感情を持っているのであろうか。そうではない。誰もが同じ体を持ち、同じ社会の中で生活している。裁判官であろうと、警察官であろうと理性的に或いは、職業柄、押さえているに過ぎないのである。一度それをはずすと、とたんに悪い事をしだす事が、多くある。それまで模範的だったという警察官が、暴力団の顧問になったりすることがしばしばある。私達はこうした『罪の法則』『肉の体」に力を及ぼす『悪の力』善を求めていても、善をすることが出来ない人間の弱さというものを知るのである。

 八章を見ると神様がお与え下さったこの『聖書のおきて』すなわち旧約聖書の律法は、決して地上の私達人間にとって、守りきることが出来ないとある。律法を守ることによっては、誰一人神様に正しいと認められない。では、律法の働きはなにか?それは人間に罪を示して、そして神様の助けを呼び求めるようにするという、養育係であると、使徒パウロは書いている。自分の力や自分の知恵でやることの出来ないところを、神様がイエス・キリストという御方をこの世におつかわし下さって、イエス様が私たちの身代わりとなって下さったことを、ここで知る事が出来る。

肉にしたがう者は肉のことをおもい、霊にしたがう者は霊のことをおもう。…また肉に居る者は神を悦(よろこ)ばすこと能(あた)はざるなり。=@  

          ロマ書八章五〜八節    

 

                          ( 続 く )

 


◎ 暗誦聖句 ピリピ書一章五節
是(これ)なんぢら初の日より今に至るまで、福音を弘(ひろ)むる ことに與(あずか)るが故にあり。

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