◆ ロマ書の学び(126)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年一月一五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 

 毎年九月から一〇月にかけて、日本中あちらこちらで、お祭りがある。神輿(みこし)をかつぎ或(あるい)はお神酒(みき)を一緒に飲むとか様々な、民間宗教の行事が見られる。いくら人間の側で、そういう風に神様に喜ばれようとしても、神様は「あなた達のやっている事は見当違いだ。私はあなた達の犠牲(いけにえ)を喜ばない。」「まず私に聞きなさい」とおっしゃる。これは旧約時代も同じであった。イスラエルの人々は自分達の形式、あるいはお祭り儀式を通して神様に喜ばれようとした。けれども、「あなた達の心が私に向いていない限り、そうした儀式はかえって忌(い)まわしいものである。」(イザヤ書一章一五節)と。

 ロマ書七章には、「自分が欲する善を行わないで、自分が憎むことを行っている」とある。やってはならない事をやってしまう罪(Sins of commission) と、やるべき事をやらない罪 (Sins of omission) の両面を七章で見る事が出来る。

 ロマ書八章一節には、イエス・キリストを信じる人達は、この地上の生活にあって時に倒れ、時には誘惑に負けてしまうことがあっても、決して死に定められることがないとある。神様から永遠の罰を受けることはなくなった、と教えているだ。

この故に今やキリスト・イエスに在(あ)る者は罪に定めらるることなし。=@        ロマ書八章一節

 私は青年時代、この世の流れに染まり、人間のもっている欲望の虜(とりこ)となっていた。それを考える度(たび)に、生きていても仕方がない、死んでしまいたい、という思いが強くあった。特に十代半ばには自殺願望があった。「自分は穢(けが)れた人間であり、また欲望の奴隷である」と大変苦しんだ。そして色々な宗教を求めたが、どの宗教を求めても、本当の魂の平安をもつことが出来なかった。

 私の青年時代の大きな願望は、金持ちになり、有名になり、そして美しい女性と結婚したい、ということであった。そのための一番手っ取り早い出世の道は、弁護士だろうと思った。弁護士はお金儲けが出来、有名にもなれ、力を持つことができ、社会の悪と戦う事が出来る、と考えたのである。

 しかし、若い時に自分の持っていた様々の欲望は一つずつ砕かれていった。大学に二年通って法律の勉強をするうちに、法律には抜け穴が沢山あること、弁護士が必ず金持ちになれるわけではないこと、全ての弁護士が偉いわけでもないことに気づいた。自分でプランを立て、自分の人生だからとあれこれ考えたが、私の人生は大変惨(みじ)めで、いつも不安がつきまとった。そして、失敗をしたら困る、負けたら困る、という「被害者意識」が強く働き、私の心には平安も喜びもなかった。                   (続く)

 


◎ 暗誦聖句 ピリピ書一章二一節
我にとりて、生くるはキリストなり、死ぬるもまた益(えき)なり
 

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