◆ ロマ書の学び(127)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年一月二二日号
         ▽ み言葉に生きる

 私達は、肉の欲望だけでなく、さまざまな罪の法則の下にあって、がんじがらめになっていることが多いと思う。
 使徒パウロは、この八章において大変大事な事を教えた。それは、肉のおもい(、、、)は死であり、霊のおもいは生命であり平安である。≠ニいうことである。

 下記の図に書かれている円の中心は「自分」である。自分の人生の中心が自我であると、《私の計画》《私の考え通り》《私の願うように》《私の欲望通り》と全ての中心、人生の中心が「自分」である。

 しかし、そのもたらす結果はどうかというと、様々な障害が体に現われてくる。そしてまた、精神生活の面では、劣等感に苦しんだり、不安定、社会に適応できないと思ってしまったり、自責の念にとらわれたり、心配、疑い、恐れなどに苦しむ。そのうえ、空想にふけったり、あるいは脅迫観念にとらわれたり、抑うつ症状をもったり、不安にとらわれたりすることがある。

 そのことはやがて、心のあり方から体に変化を与え、「頭痛持ち、胃潰瘍、じんましん、皮膚の湿疹、アレルギー、喘息(ぜんそく)、ある種の関節炎、けいれん性の結腸、心筋梗塞、てんかん、ヒステリー症、呼吸障害、過食症、拒食症、不眠症、どうき睡眠、高血圧…」など様々な形で、私達の心は体に変化をもたらしてくる。これらは心理学者が書いているところである。

 人間の病気の七〇%は心からくると、医学会では言われている。多くの医者が実体験の中で、病気の七割が心から出てくる、と言っている。医学的にも証明されて、数字が出ている。私たちは「自分」というものを中心に人生を築くのではなく、私の全ての生き方や考え方、行動生活の基盤にイエス・キリストを中心にお迎えすることである。                (続く)

◎ 暗誦聖句 ピリピ書一章九節
我(われ)は祈る。汝らの愛、知識と もろもろの悟(さとり)とに よりて 彌(いや)が上にも増し加わり、


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