◆ ロマ書の学び(129)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年二月五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  私達は「聖書」というが、英語では「バイブル」で、別の言い方では「カノン」という言葉になる。「カノン」と「キャノン」は同じ言葉で、「物差し」のことをいう。聖書は、人間のあらゆる生活の基盤であり、全ての行動原理の基準である「カノン」であり、「バイブル」である。神様の子供として私たちが神様に喜ばれたいならば、毎日少しずつでも聖書を読み、そこに書かれたことを自分で信じ、実際に生かし、行動に移していく事が大切である。

 ではクリスチャンになったら、皆に好かれるか、というとそうではない。これを間違えないでいただきたい。

 多くの皆さんは、クリスチャンになれば「あの人は親切だ。愛が深い。あの人は本当にやさしい、歌も上手だ。」と色々誉められる事を考えるかもしれないが、決してそうではない。

 仮に奥さんが先に救われたとしたら、「おっ、うちのママは、最近時間通り起きて、ご飯を作ってるな。」とか、あるいは部屋がいつも散らかっていたのにゴミがなくなったとか、ご主人が多少きついことを言っても喧嘩(けんか)にならないとか、変化が見られなければいけないのである。ご主人が奥さんの生活を見て、うちのママは変わったな、と気づくぐらいに変化をしていくのが当然だと思う。救われる前から非の打ち所がない人はいないのだから。

 聖書を読むうちに私達は変えられていく。努力をしなくても変えられていくのである。なぜならば、イエス様のお言葉に汝の欲(ほっ)するごとく他(た)にもなせ≠ニいうのがある。これは聖書の黄金律と言われる。「あなたが他の人にしてもらいたいと思うように、他の人にもやってあげなさい。」と言うのである。

 先に救われた奥さんが、ご主人が奥さんにして欲しいと思っている事を、自分の方からしていくと、これまでいがみ合っていた夫婦関係が段々変わっていく。その変化に最初に気づくのは、ご主人であり、奥さんであり、子供達であろうと思う。

 もし皆さんが五年あるいは一〇年間、クリスチャン生活をおくっていて、家族が「うちのお父さん、お母さんは教会へ行っても全然変わっていない。」と言うようなら、あなたの信仰生活は失敗なのである。どこかでイエス様が中心ではなく、あなた自身が人生の中心になっているということである。

 私たちはイエス様を心の王座にお迎えするならば、知らず知らずのうちに、自分自身の生活が変わっていく。そしてまたそれまでは、怒りっぽかった人でも少しずつ忍耐を持つようになってくる。人の噂話が好きだった人が、噂話は聞きたくないと言って、その場をはなれて、別の所で仕事をするようになる。          

           (続く)


◎ 暗誦聖句 ヨハネの第一の書 一章七節後半
その子イエスの血、すべての罪より我らを潔(きよ)む

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