◆ ロマ書の学び(131)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年二月一九日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 もし、己の罪を言いあらわさば、神は真実にして正しければ、我らの罪を赦し、すべての不義より我らを清め給わん。=@       ヨハネ第一 一章九節

 私は神様に対して犯してきた罪を言い表し、罪の赦しをいただいた時に「もう弁護士になるなんて計画は全部捨てよう。こんな素晴らしい赦しを、神様からいただくことが出来るなら、私はこの事を他の人に伝えていきたい」と決心した。「私は口下手で、劣等感のかたまりですが、私に出来る事があればやらせて下さい」と祈った。その時から五〇数年を経てきた。

 神様に従い、罪の赦しをいただいて、本当にこんなに素晴らしい生活を送れるということは、他の世界には見出すことが出来ないと思う。イエス・キリストを心にお迎えする時に、「救われた」という確信を持つことが出来る。そして、毎日、神様が私を導いて下さる、共にいてくださるという安定感を味わう事ができる。

 皆さんの親子関係はどのようなものだろうか。子供が学校から帰ってきて、「お父さん帰ってきてる?帰ってきてない?」と様子を見ながら、お父さんをいつも避ける状態にあるだろうか。誰かを恐れて避けたり、神様の罰を恐がるという状況から、どんなに私達が間違いを犯しても、弱い状態であっても、神さまはちゃんと迎えて下さり、お母さんのように、迎えて下さる御方だと知る時に、クリスチャン生活の喜び、安定感を持つことが出来ると思う。

 『ジャングル・ドクター物語』という児童向けの本がある。一匹の小猿(こざる)が、禿鷹(はげたか)が腐った肉を食べるのを見つめていた。面白(おもしろ)いと思った小猿は、腐った肉を拾ってきて、禿鷹(はげたか)にポンと投げた。禿鷹(はげたか)は夢中になって食べている。「わー、かっこいい」と小猿はまた肉を取ってくる。禿鷹(はげたか)は、あっという間に食べてしまう。小猿は禿鷹(はげたか)に餌(えさ)をあげるのが、面白くて、何回も続けた。禿鷹(はげたか)は小猿に段々に近づき、最後には小猿も食べてしまう。

 同じように、罪の性質を持つ私たちは、罪に餌を与えてはいけない。博打(ばくち)が好きな人は、博打(ばくち)の場所から遠ざからなければいけない。お酒が好きな人は、赤提灯(あかちょうちん)から遠ざかった道を歩かなければならない。パチンコが好きだった人はパチンコ店から、遠ざかっていかなければならない。誘惑から遠く離れる事が、大事なのである。禿鷹(はげたか)に餌を与えつづけてはいけないように、罪の性質に餌を与えつづけてはいけないのである。私達はその道から、遠く離れなければいけない。遠回りであっても離れなければいけないのである。 

  (続く)  


◎暗誦聖句ピリピ書一章二九節

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。