◆ ロマ書の学び(136)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年三月二六日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 神様の恵みは、汲(く)めども決して尽きぬ恵みである。スポルジョンは、大変面白い例を挙げている。大きな海に一匹の魚が泳いでいた。ある日、この魚は考えた。毎日毎日、私は沢山の小魚を食べている。こんなに毎日食べていたら、いつか餌が海から無くなってしまうのではないか。その魚はサケでもブリでも良いのだが、朝から晩まで食べていると海の魚が無くなるだろうか。絶対に無くならない。それと同じように、神様の恵みは、あなたが毎日どんなにそれをいただいても、尽きることがない。人間の造ったダムの水は枯れ果てることがあるが、神様の恵みは決して尽きることがない。だから、「自分は弱い」という自覚を持つあなたにとって、神様の恵みは十分であるというのである。

 自分で出来ると思う時には、神様のお力は発揮されない。

 パウロは「私はもう自分の力では善を欲することも、その善をすることも出来ません。」と叫びをあげた。私たちも、自分の力で何かをやろうとする努力をやめ、ひたすら「神様、あなたのみ栄えのために私をお使いください。」と自分を明け渡そう。パウロは己が身を神の悦(よろこ)びたもう潔(きよ)き活(い)ける供物(そなえもの)として献(ささ)げよ≠ニ勧(すす)めている(ロマ一二・一)。

 死んでから捧げるのではない。皆さんが死んだ時の、「大事にしていたパソコンと聖書辞典を誰々にあげます。」というような遺言状ではない。死んでからではなく、生きている間に神様に捧げるのが聖なる供え物である。しかも、神様は、私たちが神様に救われた弱い存在であることをご存知である。これが大事なことである。

 神様は、あなたが完璧だから救ってくださったのではない。あなたが嘘つきだからとか、怠け者であるから、あるいはあなたに才能がないから、ほろびるというのではない。すべての人間は滅びの中にある。そのことがまず出発点である。どんなに才能があるように見えても、私たちの才能は神様に誉(ほ)められるようなものではない。どんなに正直だといっても、その陰で、自分の利益のために正直になろうとすることがある。

 「正直が最良の徳だと教えられて正直になる人は不正直な人間である。」とは有名な伝道者の言葉である。私たちの年代には、学校で修身という時間があった。そこで人間は嘘をついてはいけません、と教えられた。確かに英語の世界にも"Honesty is the best policy"(正直は最良の策)がある。日本では正直は最良の徳というが、皆がそういう風に言っているから正直にしよう、というのなら結局は自分がそれを利用しようとしているに過ぎない。心からの正直ではない。          

   ( 続 く )


◎ 暗誦聖句 ヤコブ書五章一〇節
兄弟よ、主の名によりて語りし預言者たちを苦しみと しのびとの模範とせよ

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