◆ ロマ書の学び(139)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年四月二三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 ディズニーランドではイベントの時などに子供が喜ぶぬいぐるみがある。ぬいぐるみに入ったことがあるだろうか。人形劇でもそうであるが、普段の自分でない自分が出るだろう。普段恥ずかしがりやの人でも、幕の陰で人形にしゃべらせると、本当に自分の言いたいことが言えるものである。いってみれば、私たちはぬいぐるみを利用するのだ。ぬいぐるみはあなたが入ってあなた自身を生かすわけである。

 人形を着ている時にはきれいな女性のところに行ってチョッカイを出しても、自分が見えないので恥ずかしくない。しかし、ぬいぐるみを脱ぐと恥ずかしくて何も出来ない。「クリスチャン」というぬいぐるみに入って自分を生かそうとするから私たちは悩むのである。そうではなく、ぬいぐるみにイエス様に入っていただくのだ。「イエス様、どうぞ私たちの人生をお使い下さい。私の手も足も口も体もすべてあなたが生かしてください。」とお願いするならば、聖霊が私を支配してくださり、内側から私の行動を導いてくださるのである。ぬいぐるみは自分が入って生きる。しかし、ロマ書八章は、イエス様が私という人間の中に入って生かしてくださる、と教える。ロマ書八章の理解に、なんとなく光がさしてきただろうか。

 就寝前にも昼にも、神様のみ言葉を心に蓄えよう。一週間に一つの聖句で良いから黙想し、一日しっかり生きれるように神様に願おう。一つの聖句が一週間でも一ヶ月でもあなたの心を支配するなら、小さな失敗、間違いを恐れる必要がない。なぜなら、生命の御霊(みたま)の法則は、あなたを罪の裁きから解放するからである。あなたの原動力、イエス様が味方であるならば、たとえ仕事の面で多少失敗が起こっても、上司に叱られても、あなたは安全である。あなたの動機、あなたを動かす力は神様の御力(みちから)だからである。

 もう一度申し上げる。神様は、イエス様を信じる私たちは弱い存在であることをご存知である。完全なのはイエス・キリストご自身である。イエス様にすがり、「どうぞ私をお使い下さい。私の家にお入り下さい。」とイエス様に私を動かしていただくのだ。これがロマ書八章の大切な法則である。自分の弱さを認め、自分自身をイエス様に明け渡すことによって、不可能に思えたことが可能になってくる。聖書を読むと私たちは段々と変わってくる。それは、神様の言葉の力であり、聖霊の働きである。体に悪いと分っていながら止(や)められなかった酒や煙草、あるいは家庭を破壊すると分っていながらやめられなかった賭け事も神様のお力によって、やめることが出来るようになる。私たちはイエス様を信じ、ああしなければ、こうしなければ、と義務、束縛によって信仰生活を歩むのではない。あるがままの姿勢で、神様、どうか私をご自由にお使い下さい、私を生かして下さい、とお願いすることである。

 (続く)

◎ 暗誦聖句 ピリピ書二章一五節後半
汝らは生命(いのち)の言(ことば)を保ちて、世の光のごとく此(こ)の時代に輝く。

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