◆ ロマ書の学び(143)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年五月二一日号
         ▽ み言葉に生きる

 さて、ロマ書八章一四節と一六節の、聖書に使われたギリシャ語について少し考えたいと思う。

 すべて神の御霊に導かるる者は、これ神の子なり$V約聖書はギリシャ語で書かれたが、その中の大事な言葉として一四節に「神の子」という表現がある。「神様の子供」を英語ではSON(サン)と書く。この「サン」という言葉は、私達が受ける特別な特権、権利というものを表す。すなわち、特別にお父さんから何かの権利を受け継ぐ、という言葉である。財産や名誉や地位、そうしたものをイエス様を信じる者たちが神様の子供として受け取るという事である。

 御霊(みたま)みづから我らの霊とともに我らが神の子たることを証す=@ロマ書八章一六節の場合にはテクノンという言葉が使われていて、これはCHILD(チャイルド)である。この「テクノン(子供)」というのは、自分が生まれた関係を表す。

 ヨハネ第一の書五章一二節に書かれているように誰でもイエス・キリストを信じる人は永遠の生命を持つ≠フである。この学びの中で大変大切な部分に入ろう。十字架につけられたイエス・キリストを見上げて、イエス様の十字架上での死は「私の身代わりだったのだ」と、私の罪のために死んでくださったのだと心に信じ、受け入れる時に、神様の家族の中に生まれるのである。神様の子供とされるのだ。神の子供とされた時に、私たちは聖霊(せいれい)の「内住(ないじゅう)」をいただく。「聖霊」が私たちの内側に宿ってくださって、そして日々、私達の「助け主」として守り導いてくださるのだ。

 一九九三年に私が癌の宣告を受けて入院した時、食事が喉を通らず、高熱が続き、しかも排尿も排便も出来ない苦しみの中にあって、神様に祈っていた。癌の宣告を受けても全く恐れはなかった。神様を見上げて「神様、私はこれまでの人生を本当に神様の憐れみのうちに生かされてきました。これから生きることも死ぬことも私の力でなくして、神様ご自身の御手の内にあって、私をお使い下さい。これまでも私はいつも信じてきました。神様を私の救い主として、信じてきました。今、神様の御臨在を、私が実際に経験出来るようにして下さい。」と祈った。私はこの経験を、これまで家内にも、誰にも話していない。けれども癌の最中にあって、私は神様にしっかりと心が結び付けられた。その時に口から出た言葉は「天のお父様」という言葉であった。
      (続く)
 
◎ 暗誦聖句 ピリピ書三章一三節A

 

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