◆ ロマ書の学び(144)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年五月二八日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 私はよく英語で祈る。「Our Heavenly Father(天にいらっしゃる父なる神様)…」と。そして短い祈りの中で本当に自分の病気の事は心からすっーと抜けていった。「神様、あなたの御手(みて)の中にあって生きるのも死ぬのも、全く主の御心と信じて受け入れます。もし、ここで地上の働きを終えて召されるならば、それでかまいません。もし、許されてこれから更にお仕えする事が出来るなら、私は残された人生全てを、あらゆる時間、神様にお捧げします。」と。神様を身近に感じて祈り、神様の御臨在を感じた時に、私は全く平安であった。そして、その時に病気が癒された時点だと思う。主治医もその後びっくりしていた。手術をしないで癌が癒されたからである。

 アフリカで伝道していた宣教師で、二〇カ国語を話すというチャールズ・ウッドブリッジ博士によると、世界中どこに行っても赤ちゃんが一番最初に口に出す言葉は「アババ…」という言葉だそうである。世界共通の赤ちゃんの話言葉である「アバ、アバ」は、ギリシャ語のアラム語系統からきている「アバ」という言葉で「お父さん」という意味である。「アバ、父よ。」とは「お父さん、お父さん。」と言っているのである。小さな子供時代に戻ってみて「アババ…」と言ってみてほしい。

 私は若い頃、父を亡くした。振り返ってみると、自分の父よりも、他の方が沢山父親代わりになってくださった。そのような中にあって、私の人生を根底から変えたのは、万物をお創造(つく)りになった天地創造の神様が、私のお父さんでいらっしゃり、私が「天のお父様」とお呼びしても神様は決してお怒りにならないということであった。神様は、私をすっぽりとかくまって下さる。だから私は、何か必要があると「神様、私はこれが必要です。おききとどけ下さい。」と祈る。病気の時には「神様どうか病気を癒(いや)して下さい。神様の御心(みこころ)であるならば癒してくださって、また仕事が出来るようにして下さい。」と祈る。食べる時にも寝る時にも、どんな時でもいつも、天のお父様との関係において魂の安らぎを持つ事が出来るのである。

 「聖書に書かれた天の神様は遠い存在で、お父さんとはとても呼べない。」とか「私のお父さんは一人、家に居ます。」ではないのだ。万物をお造りになった真(まこと)の神様、この天のお父様に全てを明け渡した時に肩の力が抜けるのである。「クリスチャンらしく生きなくてはいけない。クリスチャンだからこうしなくてはいけない、ああしなくてはいけない。」という、片意地張ったものはなくなる。
                     (続く)

◎ 暗誦聖句 ピリピ書三章一三節後半
即(すなわ)ち後(うしろ)のものを忘れ、前のものに向(むか)いて励み、

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