◆ ロマ書の学び(145)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年六月四日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 天の神様のもとにある時に、私たちはあるがままの姿でよいのだ。もちろん自分の欠点も失敗も、神様は全部ご存知である。神様の目はどこにでもあって、悪人と善人を見張っている。私が悪い事を考えても、悪い事をしても、神様は全部ご存知なのである。イエス様の十字架が、私がその裁きに服して地獄に落ちる事がないように、ちゃんとセーフガードをしてくださっている。安全圏を与えてくださっているのだ。すなわち、クリスチャンの本当の信仰はもう、あるがままの姿で神様に完全に自分をお委(ゆだ)ねしていく、肩の力を抜いて、ゆったりと主にお任せしていくものなのである。

 海外旅行へ行くため、飛行機に乗る時は重いスーツケースを持って行くだろう。あなたはそれを飛行機の中でも自分でかかえこんで持って歩くだろうか。ふつうは重いスーツケースは空港で預けて、自分は身軽な状態でイスに座り、ゆったりと旅を楽しむのではないだろうか。

 職場や家庭に何か問題がおきたとき、他の人を責めるよりもまず祈ろう。自分自身が神様と正しい関係に立つ、ということが大切である。

 私は結婚した当初、クリスチャン同士の結婚だからたぶん牧師の家庭には喧嘩はないだろうと、浅はか(、、、)な夢をいだいていた事がある。ところが、意外と伝道者や宣教師の家庭にも喧嘩はあるのだ。喧嘩といっても暴力を振るうわけではなく、意見の食い違いがあるのである。お互いに伝道者だし、献身者だから分かるだろうとひとりよがりをしてしまう。相手がちゃんと理解できると思いこむのだ。ところが、そうはいかない。人間は人間なのである。

 しかし、そういう時であっても、夫婦が神様を中心として歩んでいく時に、神様はそれまで違った背景を持つ者、違った考え方を持って生きてきた者を一つ思いにして下さるのだ。夫婦が神様の御心にそった一つのゴールに向かって進む時に、天のお父様(アバ、父)は二人の違いをちゃんとプラスへと変えて下さるのである。

 私たちは、この全世界をお造りになった創造主である神様に「愛する息子よ、娘よ。」と呼ばれるようになった。あなたの誕生は、神様の御霊によって与えられたもので、たとえ間違った事をしたり、失敗をしても、神様はちゃんとそれを許して下さり、また新しい力をお与え下さる、ということを心に刻んでほしい。 
         (続く)

◎ 暗誦聖句 ピリピ書三章一四節
標準(めあて)を指して進み、神のキリスト・イエスに由(よ)りて上(うえ)に 召し給う召(めし)にかかわる褒美(ほうび)を得んとて之(これ)を追い求む。=@
 
 

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