◆ ロマ書の学び(147)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年六月一八日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 ロマ書八章一八節〜二七節は、少し固い部分、勉強しにいく所の一つであろう。この二六節と二七節のポイントは、私達は聖霊の助けによって父なる神様の御元(みもと)に近づき、祈ることが出来るという点である。クリスチャンの祈りを神様がちゃんと聞いてくださるのは、私達のためにとり成して下さる聖霊の働きがあるからである。

 ここ数一〇年間、キリスト教界では「聖霊の働き」が誤解を生むような教理で伝えられてきた。「カリスマ運動」、「世界の教会一致運動」、「癒しの宗教」など、いろいろな形で聖霊に対する聖書の教えと違ったものが世界のあちらこちらで見聞きされる。

 私達は今でも、神様がクリスチャンの病気、あるいは経済的な必要に対して目をとめて下さり、その必要に応じて奇跡的な癒しや経済的な必要を満たされるということを経験できる。しかしそれは、決して私達の信仰のいわゆる「売り物」ではない。あくまでもそれは、イエス様を信じる信仰の結果としての「恵み」である。病気の癒しが信仰の最大の目当てであってはいけない。また、経済的な必要を満たされるために、イエス様を信じようという求めでもいけないのである。

 まず、人間が万物をお造りになった創造主から離れてしまっていること、真実の神様を信じない、不信仰そのものが、実は神様の御前における人間の最大の罪であることを知らなければならない。罪の問題の解決なくして、人間の心に平安はない。神様を抜きにして家庭の平和は来ない。どんなに楽しく平和に見える家庭でも、神様を中心としなければ遅かれ早かれ家庭内に様々な問題がおき、人間の自我が頭を出して冷たい嫌な家庭となってしまう。

 富と名誉があれば人間は平和で幸せかというとそうではない。私達は様々な形で、人間の罪の現われを見ている。二〇〇〇年九月のテロ事件以降、色々な人の意見の中に、神様を抜きにした考え方を多く見る。神様を抜きにして、国連が果たしてこの地上に平和をもたらすことが出来るだろうか。過去の国連の歴史は、それに対して大変否定的な答えを出していると思う。国連は世界平和のために神様から知恵をいただいてはいない。国連で何かを決める時には、「数の論理」が働く。国連のために多額の拠出金を出しているアメリカや日本の意見はあまり通っていかない。分担金をほとんど出さないような国々が集まって、数の力で、国連の動向を左右する事があまりにも多くある。国連は決して「神様の御言葉」「神様の教え」にとって変わるものではない。

  (続く)

◎ 暗誦聖句 ピリピ書三章二〇節後半
(されど我らの国籍は天にあり、)我らは主イエス・キリストの救主(すくいぬし)として其の所より来(きた)りたもうを待つ

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